Wednesday, October 31, 2007

地球温暖化、あれこれ

最近、『不都合な真実』の影響なのか、地球温暖化について対策を講じるべきだとの記事や特集を見かけるが、一度この番組を見てもらいたい。アル・ゴアは今でこそ、ノーベル平和賞をもらって賞賛されている。が、クリントン政権のときは、京都議定書を弱体化させて張本人らしい。冷ややか目で彼のパフォーマンスを眺め、地球の気温を下げる努力をすべし。

http://democracynow.jp/stream/070518-2/

上記のリンクで特筆すべきは、バイオ燃料の及ぼす影響について。話者の環境運動家によれば、車を食わせるか、人を食わせるの問題になるという。たしかに、その通りだ。エタノールを作るのに、とうもろこし等の穀物が必要なので、とうもろこしの値段が上がっているようだ。こんなのは、少し考えれば分かりそうなことなのに、新しい技術というだけで目が眩んでしまうのだろうか。たんに、アメリカの馬鹿でかい農家が、しこたま儲かりそうな話なだけなんだろうけども。人が食えなくなっちゃうのなら、電力なんて要らないはずだ。嗚呼、本末転倒なり。

先日、読んだ記事によると、オーストラリアは今、地熱を利用した電力の開発に邁進しており、上手くいけば、100年は確実に持続する電力供給源になるらしい。今年末には、その見通しが出るようだ。クリーンで、100年。夢のような話だけども、こういう技術革新がなければ、もう絶望するしかないところまで、状況は差し迫っている。カリフォルニアは燃え続けている。オーストラリアの草原も、雨が降らず乾ききっている。そして、燃える。

さておき、なぜにここまで、温暖化対策が遅れたのだろう。結局、温暖化を研究する科学者に圧力がかかっていたらしい。以下を参照されよ。

http://democracynow.jp/stream/070228/index.shtml

地球がなくなることはないだろう。だけども、人類はもう無理かも。取り得る最善の選択をしないといけない状況で、なぜ危機を選ぶ?

そんなことよりも、とばっちりを食った、他の生物たちがあまりに悲しい。

Friday, May 11, 2007

たったひとつの、この今のために

今、夕日が沈む。たったひとつの、二度とは戻らない夕日が。

当たり前すぎて、誰もが知っていて、しかしながら、忘れていることは、今日、この時間は二度と訪れることはない、たったひとつの時間なのだ。

明日、自分が死ぬとする。では、今、自分は何を成すべきか。いつも自分に問いかける。

Saturday, March 10, 2007

巡り会う

今日は、素晴らしい本を見つけた。アルフォンソ・リンギスの『信頼』という本。購入はしなかったが、強烈な印象を受け、気になったので、少し調べてみた。これは必ず読まなければならない、そういう運命のような出会いがある。

あなたが誰かと巡り会うように。

>>>
http://www.rakuhoku-pub.jp/special/01lingis.html

アルフォンソ・リンギス
Alphonso Lingis (1933-)

 リトアニア系移民の農民の子どもとしてアメリカで生まれる。ベルギーのルーヴァン大学で哲学の博士号を取得。ピッツバークのドゥケーン大学で教鞭をとった後、現在はペンシルヴァニア州立大学の哲学教授。
 世界のさまざまな土地で暮らしながら、鮮烈な情景描写と哲学的思索とが絡みあった著作を発表しつづけている。
  メルロ=ポンティ『見えるものと見えないもの』、レヴィナス『全体性と無限』、『存在するとは別の仕方で、存在の彼方へ』、クロソフスキー『わが隣人サ ド』の英訳者でもある。邦訳書籍に、『汝の敵を愛せ』、『何も共有していない者たちの共同体』(以上、小社より刊行)、『異邦の身体』(河出書房新社)、 『信頼』(青土社)がある。

 アルフォンソ・リンギスの経歴については、『汝の敵を愛せ:Dangerous Emotions』の翻訳者[中村裕子氏]からの質問に対して、リンギス自身が次のような回答を寄せてくれたので、それをそのまま紹介する。

  「私の両親は、ヨーロッパのリトアニアからの移民だった。彼らは農民であったので、私は、シカゴ郊外の農場で生まれ育った。私は、ベルギーのルーヴァン大 学で、哲学の博士号を取得した。ピッツバークのドゥケーン大学で6年のあいだ教鞭をとった後、ペンシルヴァニア州立大学で教え始めた。
 毎年、最 後の授業が終わるとすぐに、私は他国に赴く。アメリカの制度では、大学教授は7年ごとに1年間の長期休暇が与えられるのだが、私はその休暇のたびに他国で 過ごした。「旅をした」というのは、正確ではない。ある一つの国を選んで、3、4ヶ月のあいだ、または長期休暇のあいだずっと、そこに暮らしたのである。 最初は、フランス、イタリア、ドイツ、ハンガリー、ノルウェイ、フィンランドといったヨーロッパ諸国で夏を過ごした。その後、私は、アフリカ、アジア、 オーストラリア、南アメリカ、そして南極大陸にずっと大きな興味を抱くようになった。
 本拠地として、メリーランド州ボルティモア郊外の丘陵地にある2エーカーほどの土地に、小さな家を持っている。」
リンギスの代表的著作

Excesses : Eros and Culture, State University of New York Press, 1984.
Libido : The French Existential Theories, Indiana University Press, 1985.
Phenomenological Explanations, M. Nijhoff ; Kluwer Academic Publishers, 1986.
Deathbound Subjectivity, Indiana University Press, 1989.
The Community of Those Who Have Nothing in Common, Indiana University Press, 1994. (『何も共有していない者たちの共同体』野谷啓二 訳、洛北出版、2006年)
Abuses, University of California Press, 1994.
Foreign Bodies, Routledge, 1994. (『異邦の身体』松本潤一郎・笹田恭史・杉本隆久 訳、河出書房新社、2005年)
Sensation : Intelligibility in Sensibility, Humanities Press, 1996.
The Imperative, Indiana University Press, 1998.
Trust, University of Minnesota Press. (『信頼』岩本正恵 訳、青土社、2006年)

これに加えて、『世界文学のフロンティア第1巻:旅のはざま』に、リンギスの「プラ・ダーレム、死の寺院」(管啓次郎訳、岩波書店)という一文が収録されている。
▼ 以下、リンギス『汝の敵を愛せ』より、「解説」を転載します。

世界と出遭う処へ

リンギスの導入のために
田崎英明

現象学――始まりへの旅

  アルフォンソ・リンギスの思考の基礎にあるのは、メルロ=ポンティやレヴィナスの英訳者という経歴からも分かるように、現象学である。現象学は、オースト リアの哲学者であるエドムント・フッサールによって創始され、20世紀の哲学潮流を、分析哲学とほとんど二分するといってもいいほどに多くの哲学者を惹き つけ、豊かな成果を生み出してきた。また、哲学にとどまらず、精神医学や心理学、社会学、あるいは文学理論においても「現象学派」が形成されるまでになっ ている。

 現象学というと英語圏でいうところの「大陸哲学continental philosophy」(つまり、イギリス以外のヨーロッパの哲学)の主流を成すように思いがちだが、実際には、アメリカ合州国も、哲学者の割合からいう と主流とはいえないかもしれないが、ユニークな現象学研究の伝統を持っている。現在、アメリカでの現象学研究、特に、ハイデガー研究で中心的な位置を占め るのは、ジョン・サリスJohn Sallisだろう。プラトン、ドイツ観念論、ニーチェ、ハイデガーなどについての研究書の著者であり、ハイデガーやディコンストラクションに関する数多 くの論集の編者、それに何よりも、雑誌『現象学研究Research in Phenomenology』とインディアナ大学出版局の叢書「大陸思想研究Studies in Continental Thought」の編集者として英語圏現象学の成果を世に送り出す役割を果たしている。サリスは哲学を「根源的なものへの回帰」と捉え、根源的想像力につ いての理論を展開している。

 ニーチェ、ハイデガー、ディコンストラクションのテーマ系はアメリカ現象学のひとつの軸を形成している。サ リスのほかにも、デヴィッド・ファレル・クレルDavid Farrell Krellやジョン・カプトJohn Caputoの名を挙げることができる。ハイデガーのニーチェ書の英訳者として知られるクレルは、近年、ハイデガーにおける生の概念、さらには、初期ロマ ン主義からニーチェにおける生と病の連関、それに、記憶の問題を扱っている。カプトは(たしかイエズス会士であったと思うが)、そもそもハイデガーと神学 (トマスやエックハルト)の関係から出発したが、現在ではだいぶデリダに接近、デリダの最近の「神学化」に一枚噛むかたちになっている。

 また、実験現象学やテクノロジーの解釈学を提唱するドン・アイディーDon Ihde(最近は「サイボーグ・フェミニズム」のダナ・ハラウェイDonna Harawayともコラボしている)ももっと注目されていい思想家だろう。
*   *   *   *
  現象学派はそのモットーとして「事象そのものへ!」を掲げる(ただし、谷徹[2002]によればこのままの表現はフッサールの著述には見られないとい う)。考えてみれば、これは不思議なものいいだ。私たちはすでにさまざまな事物と係わり合い、交渉を持っているではないか。私はいま、コンピュータのキー ボードを叩いている。あなたは、椅子に腰掛け、机の上にこの本を置いてこのページを開き、いま読んでいるところだ。すでに私たちは事物と出遭ってしまって いる。事物はそこにある。いまさらどうやって事物のところになど行けるというのか、私たちは、すでに事物の場所に来てしまっているというのに。

  私たちは、事物に触れ、それを使いこなし、あるいは、掴み損ねたりするとき、何ものでもない中性的なモノを相手にしているのではない。事物は、世界におい て、すでに事前に解釈され何ものかとして理解されている。事物との遭遇の瞬間は、ちょうど自分自身の生誕の時に立ち会えないのと同様に、つねにすでにやり 過ごされてしまっている。私たちはつねにすでに(幾許かは)事物に馴染んでしまっている。始まりは取り逃がされてしまった。したがって私たちは始まりを掴 もうとするなら、あたかもひとつの旅ででもあるかのようにそこへと向かっていかなければならない。

 フッサールの後の世代、ハイデガー、 レヴィナス、メルロ=ポンティら(大雑把にではあるが「実存的現象学」と括ることができるだろう)は、生活世界の現象学を発展させた。生活世界の記述とし て標準的なものは、ハイデガーが『存在と時間』で展開した道具連関としての世界の分析である。私たちがそこに生き、経験する世界(生活世界)においては、 事物はまずさしあたり道具というかたちで意味づけられ、連関させられ、配列されている。そこへと身体的存在である私たちは投げ出され、あらかじめそれら事 物との交渉の中に、半ば埋もれているのである。この生活世界の記述を実存的現象学は試みる。

 だが、道具としての事物との関わりを記述す ることがどうして「実存的」なのか。「実存」とは、事物とは異なる、この私たちの特異な存在の様式のことを意味しているというのに。道具の使用のうちに埋 もれている限りは、私たちは「誰でもない誰か」「誰でもいい誰か」として存在している。たとえば、私たちが言語を習得することができるのは、それが誰のも のでもないからであり、誰かに排他的に所有されていないからである。そして、その習得の瞬間は、私たち自身も誰でもない存在となっている。私たちが何かの 道具を使えるようになる、熟達していく過程では、誰のものでもないものを誰でもないものが用いるという様相が不可避に伴っている。

 その ような「誰でもないもの」は道具連関に織り込まれている限りで幾許か道具化している。自分自身であれ他者であれ、道具として、何か(外在的な)目的のため に利用できる(自分の手の届かないところにあるものを取ってもらったり、自分のノルマ達成のためにうまく丸め込んで不要なものを買わせたり、あるいは、快 楽のために誘惑したり)。しかし、個々の道具ではなく、道具連関そのものが何のためにあるのかと問うなら、事態は一変する。道具連関全体の目的、それは中 世であれば神の栄光を讃えるため、とでも答えられたであろうが、今日ではそうはいかない。もちろん、一応の回答は用意されている。私たちの社会では目的と なって手段とはならない存在のことを、カントに倣って「人格」と呼ぶ。

 カントが「人格」と名づけて事物と区別しようとした差異が、今日 「実存」と呼ばれるものと関係している。私たちの存在を道具連関から切り離し、(それ自身が享受の対象である)目的の地位にまで高めること(理想化ないし イデア化)、私たちが誰でもないことから引き剥がし、自分自身へと生成させることが問題なのだ。私たちは自分自身であるわけではない。自分自身になるの だ。その契機を、ハイデガーは「私の死」に見たし、レヴィナスやバタイユなら「他者の苦しみ」や「他者の死」に見る。

 リンギスもこのような実存的現象学の伝統に属している。そして、リンギスがとりわけ愛する思想家たち、ニーチェ、メルロ=ポンティ、レヴィナス、ドゥルーズに共通するのは、身体と(何かに対する欠如として理解されるのではない)欲望への関心であることは注目に値する。

 以下ではリンギスのテーマのいくつかを簡単にスケッチしてみよう。

身体図式――事物の重さ

  メルロ=ポンティが『知覚の現象学』で用いた「身体図式」という概念は、リンギスにとって要中の要ともいうべきものになっている。サルトルが意識と事物を きれいに二分し、それ自体では意味を持たない事物に、いわば、外から意味を付与する意識の作用(事物への、あるいはむしろ、事物に対する超越として意識の 志向性が理解される)を重視して想像力論に向かったのに対して、メルロ=ポンティは、純粋な意識でも純粋な事物でもない、「生きられた身体」の両義性に定 位する。そしてその中核に「身体図式」は位置している。

 身体図式を持つことは、私たちの心の中に自分自身の身体を外から眺めて作り上げ たイメージを据え付けることではない。私たちは心の中に世界のレプリカを作って、そこに自分のミニチュアを配して、初めてさまざまな事物と関われるという ものではない。そのような表象主義が問題なのではなくて、むしろ、身体図式は私たちの経験が理解可能であるということ、つまり、意味を持つことの根本にあ るものだ。私たちの知覚においては、事物は時間を通じて一貫した持続性を示すし、また、空間的にも、周囲から区別されるまとまりを持つ。このような知覚に おける統一性を、カントは図式という概念で説明した。カントでは感性と悟性との綜合を媒介する構想力の働きとして図式が捉えられているが、メルロ=ポン ティは身体の作用を綜合の根底に見る。私の身体の作用と知覚の対象とは互いに見え隠れする関係にある。ものの現われ方を一定に保つには、一定の姿勢を保た なければならない。ちょうど映画で、画面が、それが映し出している対象についてだけでなく、カメラの位置にいる人物についても教えてくれるように。

  そればかりではない。身体のコミュニケーションとでもいうべき次元が、この身体図式によって開かれている。身体図式は産出された結果としてのイメージや表 象ではなく、それらを産出するダイアグラムである(リンギスはダイアグラムという言葉を『監獄の誕生』のフーコーや『千のプラトー』のドゥルーズ=ガタリ から取ってきている)。私たちが他者の表情や身振り、あるいは、歩き方や立っている姿勢というもののうちに理解するのは、身体図式、ダイアグラムなのであ る。メルロ=ポンティによれば、意味というのは、まず心の中にあってそれから表情や身振りに翻訳されるのではないし、私たちがそれらのものを理解するの も、もとの心的表象に再翻訳してからではない。意味は表情や身振りなどの表現のうちに孕まれている。私たちは自らの身体をそれらの意味に差し出して、それ を受肉する。いわば、一種の擬態によって、ドゥルーズやベルクソンなら「ヴァーチャル」と呼ぶであろう身体運動的な次元において意味が生み出される。

  私たちが真っ先に理解するもの、それは他者の身体図式なのだ。しかも、リンギスにとって身体図式は何よりも姿勢を生み出す図式である。自らの重みを担い、 それに耐え、どう折り合いをつけているか、である。だとすると、身体図式は人間に限られない。それどころか、知覚をもっていそうな存在にも限定されない。 日の光をできる限り浴びようと枝を広げる木の傍らを通り過ぎるとき、せり出した崖の下を歩くとき、あるいは、朽ちかけ、傾いた古い廃屋を見かけたときな ど、私たちは自らの身体のうちに緊張を感じている。およそ事物というものは、たといそれが幾何学的図形のような理念的存在であってもその重みないし軽さを 持っており、したがって一定の姿勢を保っている。手を伸ばして掴んだものが(無意識のうちに)思っていたよりも重かったり軽かったりして不意をつかれたよ うになってしまうことからも分かるように、私たちは実際に事物と関わりあうに先立って、その重みを理解し、先取り的に模倣し、私たちの身体のうちで再現し ている。道具であれ、自然的存在であれ、私たちは、まず、その姿勢のダイアグラムとのあいだでコミュニケーションを持つのである。
エレメンタル――享受とコミュニケーション

  レヴィナスは『全体性と無限』の第二部「内面性と家政」で、エレメントの現象学とでも呼ぶべきものを展開している。エレメント(日本語訳は元基)は享受さ れる。それは、享受の対象であるということさえできないほどに享受という行為、いやむしろ状態と切り離せない。身体図式が存在者の一種の骨格を成すのだと したら、エレメントはそれよりも深い。エレメントは存在者と存在者の区別、そして、存在者と存在との区別にも関心がない。

 たとえば初め て訪ねた町で、私たちはのどの渇きを癒すためのビールを手に入れるよりも前に、空腹を満たすための屋台を見つけるよりも前に、あるいは、今夜の宿に疲れた 体を横たえるベッドを確保するよりも前に、暑さや湿気や喧騒やにおいといったものに貫かれ、満たされる。私は町の空気を享受する。さまざまな事物を道具と して使いこなす前に、私の身体図式が他の身体図式を模倣するよりも前に、熱や湿り気や音のうちに浸りこむ。そこでは内と外の境界は存在せず、私の身体と空 気の暑さや湿度や騒音とを区別することはできない。道具を用いて何かの目的を実現して得られる満足よりも手前に、目的も対象も手段も、そして、主体もなし に、享受は存在する。だが、この享受に私たちはとどまっていることはできない。私たちはすぐに手段―目的という道具連関のうちに差し挟まれ、労働と交換と コミュニケーションの世界に巻き込まれれる。

 『全体性と無限』の日本語版の訳者あとがきで合田正人は『全体性と無限』を「エコノミー・ ポリティック批判」とする見方をしめしている。リンギスもまた、レヴィナスのエレメント=享受論を、クロソウスキーやドゥルーズ=ガタリへと接続していき ながら、エコノミー・ポリティック批判を展開しているのである。

 レヴィナスの『存在の彼方』の中の身代わりをめぐる諸章は一種の記号論 をなしているのだが、おそらく、そこで展開されている「自らを記号とする」ことが、クロソウスキーの倒錯論(リンギスは「クロソウスキーの『わが隣人サ ド』を英訳している)や生きた貨幣をめぐる議論へとスィッチされ、さらにドゥルーズ(『意味の論理』のシミュラークルとコミュニケーションの問題、そし て、ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』)へと連なっていく。

 もちろん、レヴィナスの身代わり論は自己と他 者とのあいだの関係の非対称性、私だけが「他の代わりに=他のために」という責任を負っており、これを誰かと交換できないということをいうために立てられ ている議論だ。だが、自己と他者の二者関係ではなく、自己が他者の身代わりとして第三者の前に召喚されるというこの構図は、『悲劇の誕生』以来のニーチェ の記号論=コミュニケーション論と通底するものである。死においてのみ、死にゆく者と生き残る者、殺す者と殺される者の絶対的非対称性においてのみ真正の コミュニケーションが成り立つと考えるバタイユや、死の非人称性のもとに語る声の探求者ブランショ、あるいは、自分が自分自身の身代わりであるような存 在、すなわちシミュラークルにおけるコミュニケーションを追究するクロソウスキー。こういったサドとニーチェを思考の出発点に置く人々と、リンギスの歩み は交差する。
顔、表面、命法――自らを記号とすること

 私たちは自分自身になる。私たちが最初に従う命令は「法に従え」ではなく、「法に従う存在たれ」というものだ。この命令への服従を通して私たちは自分自身になるし、世界は秩序あるものになる。だが、この服従が自律的なものなのか、他律的なものなのかが問題になる。

  カントは、道徳法則を意志が従うべき格率をあたかも自然法則であるかのような普遍性たらしめることに求めた。たとえば「うそをついてもよい」というような 格率はこの普遍化のテストに耐え切れず、排除される。このとき個人は普遍性の見本(タイプ=範型)となる。他者に対して自らを記号とするのである。それに 対してニーチェは、同じく意志に関する選別の原理ではあるが、普遍化ではなく、永遠回帰を持ち出してくる。「すべてはすでに無限回繰り返されているかのよ うに意志せよ。」

 カントにとって、ひとは服従を通して自らに法を与え、自律性を獲得する。ひとは誰でも自らの生の主人たることを願って いる。誰でもが人格であり、世界市民という普遍的なタイプを体現しうる。これがカントの前提である。ニーチェが直面するのは別な事態である。多くの人は自 ら奴隷たることを望んでいる。意志そのものに能動と受動(あるいは能動と反動)があるのである。したがって、タイプはいくつも存在することになる。少なく とも、主人だけではたりないのである。系譜学はこのタイプの歴史的変遷を扱う。しかも、ニーチェにとって、意志の自律は暴力的に叩き込まなければならな い。カントは「啓蒙とは何か」で、啓蒙のモットーとして「敢えて賢かれ」を掲げたが、ひとがどのようにして自らの理性を自律的に使いこなす、彼のいう「成 人」状態に達するのかは謎めいたまま放置されていた。ニーチェなら「暴力によって」と、啓蒙の秘密を直ちに暴露しただろう。

 意志の自律 に先立って他なるものに曝されること自体はカントも知っていた。だが、意志の自律そのものが他なるものの優位のもとにのみ実現されるということを明らかに したのは、何よりもニーチェの功績だろう。自律的主体を作り上げる暴力の問題は、ニーチェから、一方でアドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』へ、ま た、他方では、フーコーの規律訓練論へと展開されていく。さらに、それらともずれるかたちでレヴィナスの提唱する「第一哲学としての倫理学」、存在論に先 立つ他者論がニーチェの問題圏を引き継いでいく。

 ここでカントにとってのタイプとニーチェにとってのタイプの意味するところの違いを見 ておこう。少なくとも、ニーチェにとってカントのタイプ論が飽き足らないのは、カントがタイプを導き出す普遍化を一種の一般化として、いいかえるならば、 視点の交換を通じて視野を拡大し、なるべく多くの個体を包含できるようなルールを確立することとして捉えている点にある。ニーチェにとって問題なのは、 ディオニソス、アポロン、ソクラテス、ツァラトゥストラ、あるいは、ハムレットやドン・キホーテといった「文学的形象=人物」が表現する普遍性である。こ れらの形象はそれが特異的singularであればあるほど普遍的である。ドゥルーズによれば永遠回帰において肯定されるのは生成の結果としての個体では なく生成そのものである。生成は前個体的であると同時に集合的である。つまり、それはダイアグラムのコミュニケーションなのである。私たちの生は、ちょう ど個体発生が系統発生を反復するといわれるのに似て、歴史上すべての固有名=生成のダイアグラムを包摂している。私たちはみなハムレットであり、ドン・キ ホーテであり、オイディプスであり、ディオニソスである。それは、これらの固有名を足して平均したような仕方でそうなのではない。私たちは、ある逡巡の瞬 間、すでに無数に反復されたハムレットとなる。私たちはつねに、ある固有名から別の固有名へと飛び移る。この移行こそが(変容としての)情動 affectionであり、ニーチェの文体はこのような情動に貫かれている。

 カントにとって反復=模倣すべき他者は一般化された他者と しての市民であったが、ニーチェのこのようなパースペクティヴからは、反復すべきダイアグラムは他の市民にとどまらない。それどころか反復されるべき固有 名は狭い意味で歴史上のものにかぎられない。それは自然史/自然誌にも拡張される。自然種名、あるいは地理学的、地質学的な固有名も、私たちに反復を命じ る固有名、ダイアグラムなのである。ある場所のエコロジー、それも固有名であり、それを構成するさまざまな事物の表面、そのざらつきや輝きや硬さやぬめり は、私たちにそれに従うことを強いる命令でもある。すべての事物の表面は顔である。それは、私たちに何ごとかを命じるのだ。
動物になる、世界になる――グローバリゼーション

  世界化。世界はどのようにして世界になるのか。ひとびとを「世界市民」へと仕立てあげる暴力は2001年の9月11日以降、ますますあからさまに軍事力と の結託を強めてきている。新自由主義はすべての人間を労働力という相のもとで、記号化し、平等にし、交換可能にしようとしている。それに対して、リンギス は、等価交換など考慮にいれることのない純粋な贈与を動物性と呼ぶ。自分を拷問したかつての政府軍兵士を釈放したニカラグアのサンディニスタや、ペルーの 日本大使公邸を占拠したゲリラたちに、また、先進国から来た観光客の食べ残しで辛うじて生きていくブラジルのストリート・チルドレン、そして、先進国の中 産階級の観光客であるリンギスにナイフを突きつけて財布を奪ったブラジルのストリート・ギャングの少年たちのうちに、そういった贈与を見て取る。ストリー ト・ギャングの少年たちはその動きの見事さや、ナイフの冷たい感触を通してリンギスにエロティックな悦びを与える。それは決して財布の金との交換を形成し はしない。過剰な贈与なのだ。

 生きること、それは何よりも享受であり、贈与である。交換なき生、動物になること。動物的生は世界が貧し いとハイデガーはいう。今日の資本のグローバル化は、貧しい世界ばかりでなく、世界の貧しさの中で死にゆく生を生み出している。だが、この貧しさこそがす べてを交換可能にする資本のダイアグラムに対抗する私たちの過剰(への)生成であることをリンギスは教えてくれるのである。
文献案内 ~現象学入門~

  いままで現象学にほとんど触れたことがないという人にとって導入のための文献を挙げる。個人的には新田義弘『現象学とは何か』(かつては紀伊國屋新書、現 在は講談社学術文庫)が愛着があるし、いまでもフッサールに関するよい入門書であるといえるだろう。さらに現在では谷徹『これが現象学だ』(講談社現代新 書、2002年)を挙げることができる。これらの本からは本当に学ぶことができる。それから、哲学よりも文学や芸術に馴染んでいる人には、ホフマンスター ルやムージルといった同時代のオーストリア文学とフッサールの関わりを通して現象学を描き出したF.フェルマン『現象学と表現主義』(木田元訳、講談社学 術文庫)がとっつきやすいだろう。
 また日本も現象学研究の盛んな地域であるので、フッサール、ハイデガー、メルロ=ポンティのどれをとっても専門的研究は、もともと日本語でかかれたものも外国語からの翻訳も事欠かないので実際に手にとって読みやすいものを選べばよいだろう。

◆ アメリカ現象学
John Sallis
Spacings - of Reason and Imagination, University of Chicago Press, 1987
Echoes : After Heidegger, Indiana Univ Press, 1990
Chorology : On Beginning in Plato's Timaeus, Indiana Univ Press, 1999
Force of Imagination : The Sense of the Elemental, Indiana Univ Press, 2000

David Farrell Krell
Daimon Life : Heidegger and Life-Philosophy, Indiana Univ Press, 1992
Infectious Nietzsche, Indiana Univ Press, 1996
Architecture : Ecstasies of Space, Time, and the Human Body State Univ of New York Press, 1997
Contagion : Sexuality, Disease, and Death in German Idealism and Romanticism, Indiana Univ Press, 1998

Don Ihde
Technology and the Lifeworld : From Garden to Earth, Indiana Univ Press, 1990
Expanding Hermeneutics : Visualism in Science, Northwestern Univ Press, 1999
Bodies in Technology, Univ of Minnesota Press, 2001

◆ 身体論
  リンギスが参照する身体論の多くはメルロ=ポンティが『知覚の現象学』で用いていたゲシュタルト心理学系のものだが、興味深いのは、彼がメルロ=ポンティ 以後の仕事で参照するのがアフォーダンス概念の提唱者であるJ.J.ギブソンの仕事であるということだ。「身体図式」論を豊富化するためには、現代の認知 の理論、とりわけ、佐々木正人を中心として展開されているギブソンの生態心理学を継承する仕事とつき合わせていくことが生産的だろう。

ニコライ・ベルンシュタイン『デクステリティ 巧みさとその発達』工藤和俊訳、佐々木正人監訳、金子書房、2003年
多賀厳太郎『脳と身体の動的デザイン――運動・知覚の非線形力学と発達』金子書房、2002年
エドワード.S.リード『アフォーダンスの心理学――生態心理学への道』細田直哉訳、佐々木正人監修、新曜社、2000年

◆ 顔、表面、命法
 E. レヴィナス『全体性と無限』(合田正人訳、国文社、1989年)の第三部「顔と外部性」、ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』(河出書房新社、宇野邦一他 訳、1994年)の「7 零年―顔貌性」、それに、佐々木正人『レイアウトの法則――アートとアフォーダンス』春秋社、2003年。
 リンギスの 事物の命法を展開したものとしてはリンギスの弟子に当たるSilvia Benso, The Face of Things : A diffferent side of ethics, State University of New York Press, 2000

◆ 動 物
 英語圏(合州国に限らない)の現象学ではエコロジーや動物の権利の問題圏と現象学との対話も見られる。

H. Peter Steeves (ed.), Animal Others : On Ethics, Ontology, and Animal Life (Suny Series in Contemporary Continental Philosophy), State Univ of New York Press, 1999
Cary Wolfe, Zoontologies : The Question of the Animal, Univ of Minnesota Press, 2003
Charles S. Brown, Ted Toadvine, Eco-Phenomenology : Back to the Earth Itself (Suny Series in Environmental Philosophy and Ethics), State Univ of New York Press, 2003
John Llewelyn, Seeing Through God : A Geophenomenology (Studies in Continental Thought), Indiana Univ Press, 2003

◆ 世界と出遭う
 リンギスのラテンアメリカへの言及を理解するためには、ラテンアメリカ思想研究の崎山政毅(彼もまたリンギスの愛読者である)による『サバルタンと歴史』(青土社、2001年)をぜひとも読んでほしい。

ジルベルト・ディメンスタイン『風みたいな、ぼくの生命――ブラジルのストリート・チルドレン』神崎牧子訳、現代企画室、1992年
小倉英敬『封殺された対話――ペルー日本大使公邸占拠事件再考』平凡社、2000年
歴史的記憶の回復プロジェクト(編)、『グアテマラ虐殺の記憶――真実と和解を求めて』飯島みどり・新川志保子・狐崎知己訳、岩波書店、2000年
エリザベス・ブルゴス『私の名はリゴベルタ・メンチュウ――マヤ=キチェ族インディオ女性の記録』高橋早代訳、新潮社、1987年
解説者紹介

田崎英明 (たざき・ひであき) TAZAKI Hideaki

1960 年生。専門はセクシュアリティと「政治的なるもの」の理論。著書に『ジェンダー/セクシュアリティ』(岩波書店,2000年),『売る身体/買う身体: セックスワーク論の射程』(編著,青弓社,1997年),『歴史とは何か』(共著,河出書房新社,1998 年)などがある。論文に「無能な者たちの共同体」(『未来』連載中,未來社)など。

Monday, February 26, 2007

シドニー、もうひとつの顔

オペラハウスだけが、シドニーじゃないですよ。以下のリンクは必見です。

http://www.brushtail.com.au/july_06_on/chain_up_cheney.html

シドニー、嗚呼、早く帰りたいなあ。

>>>
Chain up Cheney! Bring Hicks home!Sydney anti-war marchers defy police ban and reclaim the streetsA Possum News Network ExclusiveWords and pictures by Gavin Gatenby
Thursday 22 February 2007

This evening 1500 anti-war demonstrators overcame a strong police presence and, after a half-hour confrontation with the NSW riot squad and mounted police marched to the US Consulate to protest against US Vice-President Dick Cheney's visit to Australia and the five-year imprisonment of David Hicks in Guantanamo Bay.
An unexpected last-minute ban by NSW Police (no doubt at the instigation of the NSW Labor Government) turned what would have been a routine demonstration into a major test of the right to march.
The demonstrators prevailed after hundreds filtered through the police cordon around Town Hall Square. The remaining demonstrators bottled up in the square then voted to disperse and move in small groups to the US Consulate in Martin Place. Faced with the impossibility pursuing hundreds of small groups of demonstrators through Thursday night shopping crowds, the police relented and allowed the demonstration to proceed to the US Consulate.

Thursday, February 15, 2007

サッカー狂い

今日は、自分がどれだけサッカーを愛しているのか、ぶっちゃける。

それは、こんな記事を読んだからだった。


http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/feature/news/20070215k0000e030012000c.html

シャラポワ:国連開発計画の親善大使に就任 

14日、ニューヨークの国連本部で、国連開発計画(UNDP)の親善大使に就任、10万ドルを寄付するシャラポワさん=ロイター 【ニューヨーク坂東賢治】女子テニス世界ランキング1位のマリア・シャラポワさん(19)=ロシア=が国連開発計画(UNDP)の親善大使に就任し、14日、国連本部で記者会見した。シャラポワさんはウクライナのチェルノブイリ原発事故(1986年)の復興事業に10万ドル(約1200万円)を寄付したことを明かし、「世界にお返しできることがプロ選手である素晴らしさです」などと語った。

 シャラポワさんは事故の翌年、シベリアで生まれた。現場に近いベラルーシに住んでいた両親が胎内被ばくを心配して移住したためだった。シャラポワさんは会見で「チェルノブイリのことが心に残っていた。貧困と機会の不足が地域の若者にとって深刻な問題だ」と話し、現場を訪れたいとの希望も示した。

 UNDPの復興事業は事故の影響を受けたウクライナ、ベラルーシ、ロシアにまたがって実施されており、シャラポワさんの寄付は学校やスポーツ施設の建設など若者向けに使われるという。UNDPの親善大使にはサッカーのロナウド選手(ブラジル)やジダンさん(フランス)、女優の紺野美沙子さんらが就任している。

毎日新聞 2007年2月15日 10時19分 (最終更新時間 2月15日 10時51分)



これを読んで、ジダンのことを思い出した。以下、wikipediaより抜粋。



ジネディーヌ・ジダン:

温和な性格
敬虔なイスラム教徒であり、パーティーなど華やかな生活を好まない。 インタビュー等で見られる、はにかみ屋で静かな話し方から、謙虚で控えめな性格と評される。 チャリティー活動も熱心に行っており、人望も厚く、ピッチの外では非常に温厚なことで知られている。 また、子供時代からのアイドルは、元マルセイユのエンツォ・フランチェスコリ(ウルグアイ代表)。子供にエンツォの名前を付けるほど尊敬しており、選手として初めて対戦した1996年トヨタカップではユニフォーム交換をし、非常に感激した様子であった。

2006 FIFAワールドカップ(ドイツ)決勝戦
現役最後の試合となったイタリアとの決勝戦延長後半5分、相手DFマテラッツィの胸元に頭突きを喰らわせて一発退場。その直前に、ジダンとマテラッツィは2,3の言葉を交わしており、両者ともその内容について沈黙を続けたため、世界中で様々な憶測が飛び交い、マテラッツィによる人種差別発言の有無も取り沙汰され、社会問題となった。7月12日夕方(仏時間)フランスのTV局カナル・プリュス及びTF1によるインタビューでジダンは事件後初めて沈黙を破り、「母と姉を傷つけるひどい言葉を繰り返された」と語った。また自身の行為について、「20億、30億人が見守る中での私の行為は許されないもので、特にテレビを見ていた子供たちに謝りたい」と謝罪の意思を述べたものの、「W杯決勝の、しかもサッカー人生の終了10分前に面白半分にあんなことをすると思いますか?」「後悔はしていない。後悔をすれば、彼(マテラッツィ)の行動を認めることとなってしまう」と語り、頭突きをした行為自体は後悔していない事も強調した。7月20日、FIFAの規律委員会は、出場停止3試合及び罰金7500スイスフラン(処分当時の円換算で約70万円)の処分を決めた。ただし、出場停止処分については、彼自身がすでに現役引退を表明しているため、社会奉仕活動3日間の義務付けとなった。(→ジダンの頭突き問題を参照)

当初、その背景にはアルジェリア移民2世であるジダン自身への人種差別によるものや、のちにマテラッツィがジダンの家族を侮辱したことが原因であるとも言われたが、同年9月5日のイタリアの新聞、ガゼッタ・デロ・スポルトのインタビューでマテラッツィが「ユニホームよりもお前の姉妹(sister)の方が欲しい」とジダン側に言ったと明かした。

(引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%80%E3%83%B3)



本当に残念な事件だった。もっとジダンのプレイを見たかった。宇宙人と評される軽やかなボールさばき。仲間思いを表現する、柔らかい、最高のパス。フランス大会時に、ブラジルを粉砕した、ヘディングシュート。完璧な、至高のサッカープレーヤー、ジダン。

その彼が、相手選手への頭突きで、その選手生活を終えるなんてショックだった。そして、フランスは負けた。ブッフォンは最高のキーパーだし、イタリアのほうが総合力で上だった。だけど、ジダンがいるから、なにかしらの可能性を感じることが出来る。ジダンとはそういう選手だ。彼の退場で勝負は決まったようなものだった。

が、しかし。妹を侮辱されたなら、自分なら、どういう態度を取るだろうか。選手である前に、ジダンだって人間なのだ。

ジダンは世界の子供たちに謝る必要など全くない。大切な人を侮辱された時、ひとりの人間として、どういう振る舞いをするべきか、世界の子供たちに教えて、ジダンは去った。

いちサッカーファンとして、拍手をもって、彼の退場を見送るべきだったと、今は後悔している。

Sunday, February 11, 2007

情報の伝達速度と、その吟味のために

先ほど、NHK衛星で面白い番組がやっていた。You Tubeに掲載される”テロリスト”が投稿する映像の発信元を追跡する、テロリスト・リサーチ・センターについて。なんでも、テロリスト・ハンターなるものがいて、インターネット上にテロリストが投稿する映像を定点観測しているようだ。

最初に、断っておくが、制作したのはNHKではない。NHKに、こんな取材をする力などなく、いつものようにBBCから番組を買って、翻訳し、編集しただけだ。それを情けなく思いながら、本稿を進める。

プロパガンダという言葉がある。ナチスがその行為を美化し、宣伝するために、ヒトラーの演説を映像で流布させたのもそのひとつ。

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プロパガンダ(Propaganda)は特定の思想世論意識行動への誘導を目的とした宣伝である。心理戦の技術の一つであり、しばしば政治的な内容を持つ。ラテン語のpropagare(繁殖させる)に由来する。
(引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%91%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80)
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たとえば、ラムズフェルドやブッシュの演説を流布させることも、ひとつのプロパガンダだ。

”テロリスト”の投稿する映像もプロパガンダである。

瞬時に、数百万人が、処刑映像にアクセスする。恐怖を煽る情報戦。この番組では、イルハービ007という人物が、映像の発信元と特定され、そしてユノス・トゥーリという人が、イルハービ007であるという容疑をかけられ、今春には裁判が始まるらしい。

いくつか、疑問点があった。イルハービ007は個人なのか、団体なのかすら、分からない。

そして、映像、及び、情報の真偽というものをどう判定すればいいのか、ということを考えてしまう。

さしあたって、比較という手法が考えられる。ひとつの事象についての情報を、比較吟味する。たとえば、イラク戦争。これをアメリカ側からの視点、イラク側からの視点で見つめる態度。これが必要なように思う。これは言うまでもないことで、ある程度のメディア・リテラシーがあるのなら、誰でも取りうる態度だろう。



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メディア・リテラシー(英:media literacy)とは、情報メディアを批判的に読み解いて、必要な情報を引き出し、そのを見抜き、活用する能力のこと。「情報を評価・識別する能力」とも言える。ただし「情報を処理する能力」や「情報を発信する能力」をメディア・リテラシーと呼んでいる場合もある。なお、この項では主に、「情報を評価・識別する能力」という意味のメディア・リテラシーについて記述する。

まず、情報には、
一つの物事(物、人物、集団、出来事等)についての捉え方は、個人あるいは集団によってそれぞれ異なる。
その為、その物事に関する情報も、その情報の発信者(語り手や各種メディア等)がその物事について、どのような捉え方をしたかによって様々な影響を受けてくる。
つまり、一次情報といえども、必ず何らかのフィルターを通ってきているものであり、まったく方向性を持たない情報は無いという事である。
また、情報を意図的に改変・誇張して発信する(情報操作)事により受信者(聞き手、読者、視聴者、世論等)の考えを一定の方向に誘導する事も出来る。
一つ一つの情報は正しくても、それらが集合することによって異なった意味を持つことがある。


その情報は信頼できるかどうか
を判断する事はもちろんの事、
その情報にはどのような偏りがあるか
さらに一歩進めて、その情報を発信した側にはどのような意図・目的があるか
(つまり、なぜ、わざわざ、そのような情報を流したのか、なぜ、そのように編集したのか、を考えること)
等を始め、各種の背景を読み取り、情報の取捨選択を行う能力が求められる。そしてこれが、先の「情報を評価・識別する能力」となる。

(引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC)
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しかし、真偽の判断というのは、極めて時間がかかる。あるひとつの犯罪事件の、有罪無罪の判定には、何年もかかる。真実を写すと思われている写真というものも、今では巧妙に合成できるようになってしまった。

では、いったい何を手がかりにすればいいのだろう。何を信頼すれば?

さしあたって、ぼくは”痛み”というものを考えている。ことの真偽はさておき、どれだけ肉体的実感を持った痛みを感じることができるか。自分の身体をナイフでえぐられるまで気づかないほど、人間は愚かではないはずだ。痛みというものを、自身の感覚と記憶を全開して、感じようとする態度。ただ耳を澄ますこと、目を逸らさないこと。

嗅ぎ、味わい、触れ、そして、考える。

隠し切れない”痛み”や、やりきれない嘆きというものが、どれだけ切実に迫ってくるか。

小さいころに転んだことを思い出してほしい。膝小僧にできた、擦り傷の痛み。

では、地雷を踏んだら、どれだけ痛いのか。踏んだ人はこう考えないだろうか。なぜ、この地雷は、こんなところにあるのか。

感覚と記憶を全開する。

しぐさや、ふるまいや、声のトーン、まなざし。
その人間存在のすべてに対して。

たいして新しくもない、古くからの人間としての、最低限の想像力が、只今求められているのは間違いない。

ドキュメンタリーとフィクションの違いを超えて、人間は存在する。

Tuesday, February 06, 2007

シュプレヒコールと、ひとりのための言葉

「帰れ!帰れ!」

ぼくらは、叫んでいた。そのなかで、ぼくは、ときたま同調した。してしまった。

どうも、違和感がある。シュプレヒコールはただの威圧でしかない。支援者は、それをすることによって、つながるだろう。しかし。。。うーん、ぼくが試みたのは、節を変えることだった。というより、何を言ってもずれてしまう自分。勝手に、節は変わった。

ぼくは、ひとりひとりの人間の確立こそが、まずは必要なものではないかと考える。

市の職員と対峙する、ぼくら。ぼくらは誰に向かって、言葉を発しているのだろう。市の職員に対してだろうか。市の職員の誰に対して?自分の正義のため か。それとも?

言葉は、それ自体の、純粋さをもつ。そうあってこそ、誰かの心に届く。これは、ひとつの仮定として。

個人に対して、言葉を集積するべきだ。ぼくは、そう考えた。沈黙をせねばならない階級差は括弧に入れて。壁を越える言葉。というものについて、ぼくは考えていたのかもしれない。

ぼくは、そのシュプレヒコールには、感情を乗せることができなかった。感情を言葉に乗せるには、どうも、沈黙という作業が必要な気がした。ただ、じっと見つめる。怒りが沸点に達するのを待つ。

ぼくは、市の職員を嘲笑することができない。隣人と組むスクラムの温かさを感じながら、そんなことを考えた。

愛の世紀。「こんな言葉ではいけないのよ」と、パリのとある橋上で語った結核を抱えた女性。それを聞くユダヤ人の男。彼の名前は、エドガーといった。

名前はどこにいったのだろう?ひとりひとりの顔はさておき?

ひとりひとりが違う。それがないと、全く社会というものは、つまんねえ。つまんねえ、となったら、 それは終わりの始まり。弱いぼくの心は、逃げることを考え始め た。

どうして、こう、なにもかもが、つまらないのだろう?なぜだ?

つながるための言葉とは?言葉は誰に向かって、発せられるのか?そもそも大衆は、或いは市民は存在するのだろうか?

あなたの名前を、まずは聞かせてほしい。

ぼくの胸を打ったのは、野宿者ひとりひとりの顔と、つぶやくような言葉、それから叫びだった。

闘うための言葉と、ひとりのためのことば。こぼれ落ちた歌。

心の中を流れる、だれのためでもないことば。

生きるということ。


http://kamapat.seesaa.net/
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200702050007.html
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200702050059.html

Monday, February 05, 2007

『父親たちの星条旗』

『硫黄島からの手紙』の二部作である『父親たちの星条旗』を、先日観に行ってきた。堺筋を自転車で突っ走っても、開始時間から10分遅れた。したがって、映画の冒頭は観ていない。

切り替えしショットというものがある。ゴダールが『アワーミュージック』で懇切丁寧に、説明した手法である。ある事物にカメラを向ける。そのあと、その事物に対峙するものに、切り替える。たとえば、小津の映画の会話するものの、切り替えしショットは世界中の映画作家に影響を与えたといわれる。ゴダールは、『アワーミュージック』のなかで、「ドキュメンタリーとしてのパレスチナ、フィクションとしてのイスラエル」というふうに、切り替えしショットの概念を説明していた。

さておき、硫黄島での戦闘をアメリカからの視点、日本からの視点で描くイーストウッドの手法は、極めて正しかった。

http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/

『父親たちの星条旗』は、一枚の写真をめぐっての物語、あるいは歴史。擂鉢山に、星条旗を掲げた6名の米兵たちの物語である。『硫黄島からの手紙』は、硫黄島での戦闘が主として描かれていたが、こちらは、アメリカ本土に帰還した、米兵がその後どのような扱いを受けたか、それを一枚の写真をめぐって、丁寧に描いたものである。

その一枚の写真は、2度撮られた。

詳細は、またあとで。

Friday, February 02, 2007

『硫黄島からの手紙』

今日は、『硫黄島からの手紙』を観にいってきた。アメリカの友人に薦められて、彼女は日系3世で、とても可愛い人である。彼女のおじいさんは、九司道夫という、マクロビオティックの世界では有名な方らしい。

とてもおもしろい方だと思うので、興味を持たれる方はこちらへどうぞ。
http://www.michiokushi.org/

その孫娘は、先日、『硫黄島からの手紙』を観たらしく、長いメールを送ってきた。ぼくの感想を聞きたいようなので、可愛い人の依頼には即応えることにした。

とりあえず、なにも資料を見ずに、感想を綴ることにする。

渡辺謙演じる、栗原は興味深かった。アメリカで学んだ軍事知識を、アメリカに対して使うことになる。飄々とした変わり者として、最初描かれるのだが、部下の反発を招いたりしていた。語りの目線は、二宮和也が演じる西郷。イーストウッドの映画は、本当に丁寧に人物が描かれる。ワンカットも長く、どちらかというとヨーロッパ映画っぽいなと思う。それは、『ミスティックリバー』でもそうだったし、『ミリオンダラーベイビー』でも同じだった。

さておき、戦争の描写。ここまでやる必要があるのか、この老映画監督は、相当な怒りを抱えているに違いない。特に、自決のシーン。手榴弾をヘルメットに撃ち付け、胸に抱えて、自爆する。ひどすぎる。しかし、この自決の仕草をよく調べてあるということから、老監督の真摯さが感じられるではないか。このグロテスクで、愚かで、悲惨な、極限の状況を描く必要があると思ったのだ。

最も、印象に残ったのは、伊原剛志演じるバロン西という人物だった。彼は、1932年のロサンゼルスオリンピックに出場した。それで、サムという米兵の手当てを部下に命じる。そして、情報を得るために、英語で話しかけたのだ。「自分にはアメリカ人の友人がいる。1932年のオリンピックに出た」と懐かしむようにかたる。若い米兵は「ほんとですか、すごいですね」と答える。伊原剛志の顔の深さと、若い米兵の素直さに、不覚にも、涙ぐんでしまった。こんなことは有り得たかもしれないのだ。

とりいそぎ、以上の感想を綴ることにする。

鑑賞中、ぼくがずっと思っていたのは「戦争はキ印かバカがするものにきまっているのだ。戦争にも正義があるし、大義名分があるというようなことは大ウソである。戦争とは人を殺すだけのことでしかないのである。その人殺しは全然ムダで損だらけの手間にすぎない」という坂口安吾の言葉だった。イーストウッドも似たようなことを考えているように感じた。

『硫黄島からの手紙』。紛れもない反戦映画である。

Sunday, January 28, 2007

女性は産む機械、だってさ

いいのかね、これ?人間をバカにしすぎじゃないの?俺は心の底から軽蔑を覚える。殺したいくらいに。 こういう発言には殺意を抱くべきだ。

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http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070128k0000m010094000c.html
柳沢厚労相:女性を「出産する機械」とも例える発言
柳沢伯夫厚労相
 柳沢伯夫厚生労働相は27日、松江市で開かれた自民党県議の集会で講演した。講演は年金・福祉・医療問題に関するもので、出席者によると、柳沢厚労相は少子化対策に言及する中で「15から50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、機械と言うのは何だけど、あとは一人頭で頑張ってもらうしかないと思う」などと述べたという。少子化対策にかかわる閣僚による、女性を「出産する機械」とも例える発言だけに、今後批判を強く受けそうだ。

Tuesday, January 23, 2007

ビートルズとクラシック

これ、大問題だと思うんですが。やれやれ、アホらしくてため息しか出ねえわ。音楽をまったく理解していない糞バエどものすることなど気にしなくていい。

みんなが好きな歌を、自由に歌えばいいんだよ。

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ピアノバー店主、著作権料払わずビートルズ生演奏 

ビートルズの曲を著作権料を払わず生演奏したとして著作権法違反でピアノバー店主が逮捕・起訴された異例の事件で東京地裁は22日、懲役10月執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。積もり積もった使用料は10年で約840万円。JASRAC(日本音楽著作権協会)をナメたら怖い-。
 有罪を言い渡されたのは東京都練馬区石神井町でピアノバー「ビストロ・ド・シティ」を経営していた男(73)。バーは昭和56年にオープンし、地元音大生をアルバイトで雇って、主にショパンなどのクラシックを演奏させていた。そのうち客のリクエストに応じてビートルズのナンバーなど、ポピュラーを演奏させるようになった。
 60年10月、店を訪れたJASRAC職員が使用料を払うよう男に要請したが、「すべての店が支払っているわけではない」「クラシック曲しか演奏しない」と支払いを拒否。一時は「演奏をやめる」と表明したもの、実際には“地下演奏”を続けていた。
 JASRACは平成13年2月、東京地裁に演奏中止を求める仮処分を申請し、認められた。
 それでも同店は演奏をやめず、JASRACが確認しただけでも15回も演奏したため、「話し合いはムダ」と判断。警視庁に刑事告訴を行い、男は昨年11月、石神井署に逮捕された。
 同店は客席が33席あり、1曲あたり90円の使用料が発生するといい、13年の段階で未払いは10年分840万円に膨れ上がっていた。公判で男は「まさか逮捕されるとは思わなかった。法律を甘くみていた」と述べた男。たまったツケは、ヘイ・ジュード(重度)?
http://news.aol.co.jp/story/news.date=20070123162340&company=11&genre=05&sub=003&article=320070123018.html

Thursday, January 18, 2007

緊急宣伝

友人たちのブログを読んでいると、阪神淡路大震災から12年経ったことについて書かれていた。自分も何か書くべきなのかと思った。あの日、大阪の朝、学校が休みになって、うれしかったこと。隣町の、テレビの向こうの出来事だった。追悼の資格など俺にはない。その代わり、以下のメールを貼り付ける。


<報告> 1月15日(月)に「除却命令書」が交付され、期限は1月21日(日)とされています。今後、前回通りであれば、「戒告」「代執行令書の交付」と手続きがすすみ、強制排除を迎えることになります。Xデーはまだはっきりとわかりません。1月29日30日頃と予想しますが、もっと早まったり2月にずれ込んだりするかもしれません。

 テント村には今日現在で7人の仲間が暮らしていますが、うち6人はいまだ引っ越し先が見つからない状況です。「テントを追い出されても、よその地域でアルミ缶拾いはできんから、長居で野宿する」と言っている仲間もいます。10月以降、これまでに10人の仲間が生活保護の申請をするなどしてテント村を離れました。行政は「説得に応じて自主退去した」と宣伝していますが、「強制排除されるならかなわんな」というなかのことであり、説得という寄り脅迫に近いものでした。テント村を離れた仲間は今もたびたびテント村に顔出してくれたり、連絡を取っていて、大阪市に対する怒りの気持ちは同じだと思っています。 さまざまなメディアが報じており、テレビ局のページに動画が配信されているものもありますが、日本インターネット新聞JANJANにもあがっています。笹沼さんのインタビューもあります。私もテレビなどでスカした面をさらしていますが、実際はくやしいやら情けないやらでたいへんです…。が、今のところ冷静に移転先を探しつつ抗議行動を展開していきます。

http://www.janjan.jp/living/0701/0701117897/1.php

 強制排除に反対する署名はこれまでたくさんの方にご協力いただき、現在までに3000筆以上が集まりました。「長居公園の野宿者を応援する市民の会」も立ち上げられ、長居の駅前などでの署名集めを展開してくださっています。予想以上の反応で、わずかな時間に200筆以上の署名が集まり、大阪市行政が排除の理由に挙げた「地域の苦情」がデマあるいは偏向だと確信しました。署名はぎりぎりまで募り続けます。以下の釜ヶ崎パトロールの会のページからダウンロードすることもできますし、連絡いただけたら郵送いたします。

http://kamapat.seesaa.net/article/29791212.html

 また、釜パトのブログには長居の仲間が大阪市に提出した「弁明書」や、「抗議文」もアップしています。「立ち退くことができない理由」を当事者の自筆で、あるいは聞き取りを通じて伝えています。ぜひごらんになってください。 除却命令の期限となる1月21日(日)には、テント村で交流イベント「プチ大輪まつり」を開催します。お昼頃から夕方まで、ライブあり芝居ありで楽しくやります。芝居は17時ごろから。大晦日に上演して好評だった、テント村の仲間6人+若者でつくったしばいの再演をします。 他の機会にも、ぜひ長居公園のテント村に遊びによってください。

<要請> みなさまにはそれぞれのスタンスから、大阪市に抗議を寄せていただくことをお願いします。また、9月27日にでっちあげの事前弾圧により逮捕されたうちの4人の仲間はいまだ大阪拘置所の中におり、保釈の目処も立っていない状況です。拘留中の仲間に面会していただける方は、拘置所の人数制限による調整のため、釜ヶ崎医療連絡会議06-6647-8278までご連絡いただけたら助かります。 
大阪市経営企画室         電話・06-6208-9720  
大阪市ゆとりとみどり振興局    電話・06-6615-0614 FAX06-6615-0659 
大阪市市民局 市民部 広聴相談課  電話・06-6208-7333 FAX06-6206-9999 
大阪府警察本部          電話・06(6943)1234 

よろしくお願いします。 また、代執行当日には長居公園現地での抗議に駆けつけてください。最寄り駅は地下鉄御堂筋線「長居」3番出口、JR阪和線「長居」です。 長居公園仲間の会では、これまでの取り組みの中で積み上げてきたたくさんの多様な人々とのつながりを、抗議行動にも生かしていきたいと考えています。うた、芝居、絵を描く、詩を読む、などなど、多様で多彩な活き活きとした表現で、強制排除への抗議を展開できたらと考えています。 おれたちはゴミじゃない!ガードマンや市職員の前で、人間としての表現をしていきたいと思います。******************** 長居公園仲間の会 nagaipark_tentvilla @ yahoo.co,jp

Saturday, January 13, 2007

本の紹介

未読だが、一読の価値のありそうな本の紹介を。皇室のバカらしさってのがよく分かりそうなので。いつか、天皇制についてはじっくり書かないといけないと思っていた。ヒルズ記者ははっきり、雅子は鬱病=depression だって書いている。しかもdeepだと。これが、外国人記者の客観的な観察なんだろう。皇室が、日本の家族のモデルなら、全国の女性は鬱病になってしまうわけか。馬鹿馬鹿しい!


題名 雅子王妃 菊の棘の牢獄 日本皇后の悲劇の真実 ベン・ヒルズ

Princess Masako
Prisoner of the Chrysanthemum Throne
The Tragic True Story of Japan’s Crown Princess
By Ben Hills

A brilliant woman sacrifices her career to marry a love-struck prince. Inevitably, the fairy-story turns to tragedy when Masako Owada is unable to adjust to the pressures of living in Japan's ancient imperial court. It was feared that the royal dynasty, the world's oldest with a 2600-year-history, would die out if Masako and Crown Prince Naruhito could not bear a boy - but after 13 years of marriage, both are now in their 40s and have only a daughter, little Aiko, born with the help of IVF. Even the birth this year of a new son and heir to her sister-in-law Princess Kiko has done little to relieve Masako's stress - and has only postponed for a generation the vexed issue of changing the law to allow a woman to inherit the throne.
Inevitably, the strain of it all has had a terrible impact on Masako. She has been afflicted with painful shingles, and is suffering from deep depression - although the palace will not admit it. There has been talk of divorce, though no royal has ever divorced in Japan's history. Some say the prince is considering renouncing the throne for his love - leaving the crown to his brother. The Emperor is ailing with cancer, and the imperial system is in crisis.
This book draws on more than a year of research in Tokyo and rural Japan, Oxford, Harvard, Sydney and Melbourne. It involved more than 60 interviews with Australian, Japanese, American and English sources - Masako's and Naruhito's friends, teachers and former colleagues - many of whom have never spoken publicly before. It explores, for the first time, the 'Australian connection' with the royal couple. It includes intimate portraits of Masako and Naruhito from childhood to marriage and beyond; a look behind the 'Chrysanthemum Curtain' to the arcane world of the Japanese royal family, where vestal virgins still preside at Shinto rites and the position of royal stool inspector was only recently abolished. Through their love affair it opens a window on Japanese attitudes towards parenting, mental illness, the role of women, and the place of the monarchy.
Princess Masako asks and answers many questions which can never be raised in Japan because of the reverence in which the Emperor and his family are held. What is the real reason Masako had to abandon her studies at Oxford ? Why did Kunaicho, the powerful bureaucrats of the Imperial Household Agency, oppose the marriage ? Who are the shadowy figures who persuaded Masako to give up her career and marry the prince ? Why is there such secrecy over the couple's use of IVF, and Masako's mental illness ? What does the future hold for the star-crossed couple - and for the survival of the monarchy.
But above all it is the story of a romance gone wrong, an Oriental Charles and Diana story which neither will survive undamaged, but from which neither seems capable of escaping.
Princess Masako was published in Australia by Random House on November 1 2006. It will be published in January 2007 in the US by Penguin, and a Japanese language edition is to be published shortly in Tokyo by Kodansha. Other European rights are being negotiated. If you have any difficulty obtaining a copy, contact Ben at info@benhills.com

『サラバンド』

ベルイマンの映画について考え続けている。今、この日記を綴るにあたって、どの人称を選択すべきかも分からない。俺、ぼく、私、のいずれを使うべきかということ。それほどの混乱を『サラバンド』には与えられた。英語の「I」にあたるものが日本にあれば、と思うことがある。人称に従い、自分の人格を仮構すること、もっと正確に言えば、他なるものに対して、どのような位置をとるか、日本においての他者との関係性は人称に如実に現れる。このあたりに、ラカンが「日本人には精神分析は不要だ」と指摘した秘密があるのだろう。カタカナとして諸物の外来性を保存し、近代概念は漢字という外来文字で表す。とても柔軟で、なおかつ排他的な言語を駆使して、ベルイマンを綴ることができるのだろうか?

私は、「私」を選択することにする。ベルイマンは自らの私的体験を、普遍性にまで昇華させた男だ。彼を語るには私がふさわしいような気がする。そもそも、なぜ、あれほどの衝撃を私は受けたのだろうか?

プロローグ
『サラバンド』は今まで自分が観たことのない映画だった。それは導入部からして、そうだった。机にうず高く積まれた写真の山のカット。そこから、人物に下降する。写真を用いて、リヴ・ウルマン扮するマリアンがカメラ目線で、自らの人生の遍歴を語りだす。ぎこちない、されどストレートな演出だと思った。この映画には何か重要なメッセージが込められている。そう思わせるような。そして、その重要なメッセージを孕んだ事件に、ひとりで対峙せねばならない覚悟をも喚起する。さしあたって、ベルイマンがこの映画を最後に、もう二度と映画を作らない遺言状としての作品だということは知っていたので、このカットにて、画面と映画館に緊張が走るのが分かった。マリアンは自身の娘の生活ぶりを語り、別れた夫を懐かしみ、衝動的に彼に会いに行く計画を観客に告げる。30年ぶりに。

第1章、「マリアン、計画を実行に移す」

ヨハンとマリアンの再会について。
マリアンが森深くにある、ヨハンの別荘を訪れる。空き巣のように、忍び足で。別荘に入り、しばらくヨハンの生活ぶりを観察するマリアン。ここでもカメラに向かって語りかけてくる。テラスで昼寝するヨハンをマリアンが見つける。窓越しにヨハンを眺めるマリアン。彼女はここで、ヨハンに声をかけるか、このまま立ち去るか戸惑う。沈黙の1分を観客に強いる。扉を開け、寝ているヨハンにキスする。かつてのふたりの親密さが会話の中で再現される。ヨハンは立ち上がり、「抱きたいんだ」といってマリアンに近づく。「あなたと私が抱き合うの?あなたったら・・・。年を取ってもおバカさんね」。そういって二人は抱擁する。

もうこのシーンから、涙を止めることができなかった。これは何なのだろう。この画面に顕れる親密さは。

Thursday, January 11, 2007

帰る

今日は、ひさしぶりにオーストラリアの連れとチャットをする機会があった。みんな、仕事探しに奮闘中の模様だ。ちなみに、一緒に住むのはアイルランド人、韓国人、日本人。国土面積がせせこましい国の出身者たちが、シドニー郊外の裏庭付き邸宅でせせこましく暮らしている状況が伝わってきて、ほほえましい。誰かと一緒に住むことは、うっとうしいこともあるが、誰かがそばにいれば安心するし、俺は帰るところがあることを素直にうれしく思う。

世界には、いろんなホームがある。飢えた家族が暮らす難民キャンプ、遊牧民の移動式テント、旅人宿、キャラバンカー、やしの木の上、湖上ボート。どこにあっても、帰る場所があることのすばらしさ。

しかし、帰ることのきびしさというのもあるはずだ。自分の良心と向き合うこと。空っぽの部屋に帰るとき、だれも見ていないのに、誰かに怒られている感覚。

けれども、帰る家が地獄という場合はどうなるのだろう?路上に転がる捨てられた存在。虐待を受け、ほっとする場所すらない存在。居場所のない小さい心。それを想って、泣いた。彼らの家はどこにある?帰るという行為を奪われたものたちに、再びどこかへ帰る場所が生まれることを俺は望む。

「世界の涙の量は不変だ。だれか一人が泣き出すたびに、どこかでだれかが泣き止んでいる」

俺は生涯、帰る場所のないストレンジャーとして生きるだろう。しかし、どこかに帰るという感覚も、きっと忘れることはできないはすだ。どこにいたっていい。あしたの家に向かって、トボトボと歩いていこうと思う。ひとつ、ひとつの光景を味わい、ゆっくりと呼吸しながら。

Friday, January 05, 2007

原爆日記

面白い記事があったのでメモしておこう。失敗してよかった、と思う。歴史はやはり面白い。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070105k0000e040072000c.html
原爆日記:旧理研研究者が残す 終戦直前開発断念の記録 
万年筆で几帳面に書かれた山崎さんの日記。毎日のように空襲があったことが読み取れる
 戦時中に旧理化学研究所(東京都文京区、現在の理研)で原爆を研究していた物理学者の日記が見つかり、近く発刊の「仁科芳雄往復書簡集・第3巻」(みすず書房)に掲載される。原爆製造に必要なウラン235の濃縮に失敗し、開発を断念する様子を克明に記した貴重な記録。研究に関する記録は終戦直後「原爆を造っていたことがわかれば死刑になる」とのうわさからすべて焼却されたとされており、関係者からは「よく残っていた」と驚きの声が上がっている。
 筆者は、旧理研の仁科博士の研究室でサイクロトロン(イオン加速器)の建設や原爆研究に携わっていた山崎文男さん(1907~81年)。旧理研での原爆研究は43年1月にスタートした。日記は終戦間際の45年1月から8カ月間、ほとんど毎日書かれていた。神奈川県鎌倉市に住む長男和男さん(67)が保管していたが、山崎さんと一緒に研究した元理研副理事長の中根良平さん(85)が、書簡集の編集に携わる中で原爆開発に関する記述があることに気づいた。
 日記は45年4月、ウランの濃縮を試みた「熱拡散塔」のあった49号館が空襲で焼失した日の模様をつづっている。これを機会に旧理研の原爆研究は難しくなった。
 <4月14日(土)11時頃(ごろ)空襲サイレン。(中略)理研にゆく。49号館を守る可(べ)く敢闘。23号館で休。夜があけて東側の壁が燃え出し、もう消火の元気なくただ見守る>
 焼失前にその塔で濃縮作業をした最後のウランは5月、サイクロトロンで分析された。
 <5月10日(木)午後U(ウラン)の測定を続ける。negative(失敗)である>
 サイクロトロンで高速の中性子を当て、出てくるベータ線の量に変化があれば濃縮は成功であることを示し、日本の原爆研究は大きく進むはずだった。しかし、ベータ線の量は誤差の範囲に収まっていた。
 中根さんは「山崎さんはnegativeという一言で表現したが、かなりショックだった。私も40時間かけて不純物を取り除いたし、これがダメならすべて終わりだったから」と語る。この測定を最後に、日本の原爆研究は事実上終止符が打たれた。
 中根さんは「私自身も終戦直前、実験日誌をすべて焼いてしまった。山崎さんの日記を読むと当時の苦労が思い出され、感慨深い」と話している。【中村牧生】
毎日新聞 2007年1月5日 15時00分

Fail better

新年会シーズンということで、いろんな友人と再会した。

まずは地元の連れ、二人と地元の飲み屋に行った。中学生のときから、変わらないこともある。いまだに中学時代のバカな話をして笑う。俺らの中学はめちゃくちゃだったので、話は尽きることがない。だけど年々、旧友たちが疲弊し磨り減っている印象を受けるのがイヤで仕方ない。少年の心が日本社会に押しつぶされていく。そろそろ俺も結婚せんとな、とか言う。キャバクラ、上司、新人の女子社員、そのほかのもの。ビール片手に、中学生のときには見せなかった表情をする。今さら、そんな顔すんなよ、といえるわけでもない。それぞれの人生をそれぞれが進めるしかないのは分かってる。それに、俺らが友達であることはいつまでたっても変わりはない。たまには息抜きにシドニーに遊びに来い、ってだけ伝えておいた。

尼崎の連れ。こっちは鍋だった。笑いに笑った。なかには調子の悪い人もいるが、やりたいことをやっている人たちは違う。表情がいい。やりたいことがはっきりしなくて、迷っているやつもいる。だけど、世間にどう思われようが、人生やったもんがちだ。それが、年々はっきりしていく。理想を持ち、試行錯誤し、実現に近づける、この積み重ねが、人の顔を作る。そうあってこそ、他人にやさしくあることができる。

サミュエル・ベケットの言葉だ。"Ever tried. Ever failed. No matter. Try again. Fail again. Fail better. "

みんな、やりたいことをやってくれ。俺もやりたいことをがんばるだけだ。そしてうまく失敗できることを心から願う。

Thursday, January 04, 2007

宣伝

とりいそぎ。

『越冬闘争とは、野宿・日雇労働者の冬を生き抜くための闘い』

全国の野宿者人口は、約3万人、大阪府は約1万人と一番多く、京都府は約800人と言われています。 毎年大阪だけで200人以上が路上で死んでいます。 そして年末・年始は野宿・日雇労働者にとって、各地の行政の窓口が閉まり、建設の日雇いの仕事はなくなり、冬の寒さの厳しい時期です。 そのため野宿・日雇労働者の冬を生き抜く闘いである越冬闘争やその他の越冬の取り組みが下記のように関西の各地で行われます。 それに参加しようと広く呼びかけるため、主に京都の学生やフリータで「06→07越冬闘争に連帯する学生・青年実行委員会」を立ち上げました。 ぜひ越冬の取り組みにいっしょに参加しませんか。(活動期間は12月27日~1月10日)

『越冬闘争への参加』 私たちと一緒に参加される方はとりあえず電話tel:090-7963-5788を下さい。 越冬闘争やその他の越冬の取り組みは各地の当事者、支援者によって取り組まれており、炊き出し・夜回り(安否確認や情報提供のパトロール)・夜警(襲撃を避けるために集団野営している場所を警備する)などの「生き抜くための」活動、ライブやもちつきなどのイベントが行われています。 是非、参加して自分たちでいろいろなことを感じて下さい。 参加しやすいように、知っているスケジュールを伝えたり、宿 舎を案内したりします。 私たちが活動を行うのは12月27日~1月10日までです。 06→07越冬闘争に連帯する学生青年実行委員会  tel:090-7963-5788 ※ (以下、転送歓迎です)

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 長居公園仲間の会/釜ヶ崎パトロールの会のNです。  今日12月26日、大阪市が会見を開き、長居公園の野宿の仲間のテント村について法的手続き(行政代執行)に入ることを公表しました。 来月1月5日には「除却命令を行うという弁明機会付与の通知」を出し、10日頃に「除却命令」を出すとのことです。  ちょうど一年前の2006年1月5日には、大阪城公園・うつぼ公園の野宿の仲間に対し「弁明機会付与の通知」が届きました。 1月13日には「除却命令」が、1月24日には「代執行令書」が交付され、1月30日に行政代執行による強制排除が行われました。 ほぼ同じスケジュールで、1月中旬から下旬にかけての時期に強制排除となる見通しです。 日程には、07年1月28日に長居公園で予定されている「大阪国際女子マラ ソン」とのからみもあると思います。  長居公園のテント村には現在10名の仲間が暮らしています。 数名の仲間は「自立支援事業」を受け皿にした排除に抗議して抵抗を続ける意志で、仲間の会としても代執行の当日も抗議行動に取り組む考えでいます。  その日まで、仲間はいつも通りの生活を続けます。 また、強制排除された後も、どこかで野宿しながらでも生きていかねばなりません。 その、ひとつながりの生活自体が、特にこの越冬期、野宿の仲間にとっては闘いです。 仲間の会はたとえ強制排除されたとしてもその後も仲間とつながり続け、野宿を支えともに生きる活動を続けていきたいと考えています。  みなさまにはそれぞれのスタンスから、大阪市に抗議を寄せていただくことをお願いします。 また、9月27日に事前弾圧により逮捕された4人の仲間はいまだ大阪拘置所の中におり(別件逮捕のひとりは10月18日に釈放されました)、保釈の 目処も立っていない状況です。
大阪市経営企画室          電話・06-6208-9720 
大阪市ゆとりとみどり振興局     電話・06-6615-0614 FAX06-6615-0659  
大阪市市民局 市民部 広聴相談課  電話・06-6208-7333 FAX:06-6206-9999  
大阪府警察本部           電話・06(6943)1234  

よろしくお願いします。  
立ち退き期限となる12月31日には、テント村で毎年恒例となったもちつきをやります。
早朝から夕方まで、うたや紙芝居もありで楽しくやります。
17時ごろからは、テント村の仲間6人+若者でしばいの上演をします。
野宿の仲間の生活や、それぞれの思いをテーマにしたしばいです。
お時間のある方、ぜひ観にいらしてください。  
他の機会にも、ぜひ長居公園のテント村に遊びによってくだ さい。
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長居公園仲間の会  nagaipark_tentvilla @ yahoo.co,jp
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映像流出

さっき、アメリカのPBSをボンヤリ見ていたら、フセインの処刑映像の流出が大問題になっているらしい。俺なんかは、よくぞやってくれたものだ、と思うのだが。PBSの記者は、「この一件はイラクの今の状況をよく象徴している、シェイクスピアンの劇のような」なんたらかんたら言っていた。しかしイラクの携帯電話ってビデオ付きなのかと、変なところで関心していたりした。オーストラリアで俺の使っていた携帯は写真すらもとれないものなので、イラク進んでるな、と。カブールでも、ちょっとした金持ちクラスは携帯電話を使っていたので、さもありなんと思うのだが、しかし。。。ちょっとひっかかる。あまりに不用意ではないだろうか。死刑執行人のなかには、フセインに対して恨みを抱いている者もいるはずで、私的報復を防ぐために、刃物などを持ち込まないかボディチェックをするのが当然だ。どうやって、携帯電話を持ち込んだんだ?おそらく、この映像を撮影した男には確固とした目的があるはずだ。この男が何者で、どの勢力に属しているかで、それはいくらか明らかにされるかもしれない。

いずれにせよ、その男の勇気は認めなければならない。その勇気がなければ、残虐が闇の中に葬りさられるところだった。我々は心して、何が起こったのかを目撃しよう。

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/news/20070104k0000m030022000c.html
フセイン処刑:イラク内外で抗議デモ相次ぐ
 【カイロ高橋宗男】12月30日のフセイン・イラク元大統領の死刑執行に抗議するデモがイラク内外で相次いでいる。インターネットを通じて流出したビデオ映像で、イスラム教シーア派の執行人らが死刑執行の際、「地獄へ落ちろ」などと元大統領を罵倒(ばとう)していたことも明らかになり、スンニ派の怒りを増幅させることになった。元大統領の早期死刑執行によって負の歴史に幕を引き、国民和解を促そうというマリキ首相のもくろみは完全に外れた格好だ。
 ロイター通信によると、元大統領の遺体が埋葬された北部ティクリート近郊のオウジャ村には連日、数千人のスンニ派住民が訪れ、元大統領の死を悼んでいる。ティクリートや北部モスルでも数千人規模のデモがあり、参加者は元大統領の肖像画や「殉教者」とあがめる横断幕を手にイラク政府を批判した。中部サマラやバグダッドのスンニ派居住区などでも同様の抗議が行われている。
 死刑執行への抗議はイラク国外にも広がっている。ヨルダンの首都アンマンでは1日、元大統領の長女ラガドさんが1000人規模の抗議集会に出席し、「殉教者サダムへの敬意に感謝したい」と述べた。抗議行動はパレスチナ自治区のヨルダン川西岸各地やインドのカシミール地方などでも行われている。
 イスラム世界の大半を占めるスンニ派の人々の間には、祝祭である犠牲祭(イード・ル・アドハ)の初日に元大統領の死刑が執行されたことへの反発が強い。寛容の精神を示す犠牲祭期間中に、あえて死刑を執行したイラク政府に対する嫌悪感が強まっている。
毎日新聞 2007年1月3日 19時10分 (最終更新時間 1月3日 22時29分)

Monday, January 01, 2007

一枚の紙切れ

俺は今、一枚の紙切れを眺めている。薄紫色のやや色褪せた紙幣。イラクディナール。どれだけのイラク人の手を渡ったのだろうか、染みや汚れが所々に目立つ。両端にアラビア数字で250と刻まれており、やや若い面持ちのサダム・フセインが背広とネクタイ姿で描かれている。裏面には「岩のドーム」が描かれている。美しい花を彩ったレリーフがその傍らにある。岩のドームはエルサレムにあるイスラム教の聖地で、7世紀末に完成した神殿。ムハンマドが一夜にして昇天する旅を体験した場所とされる。

伝承によれば、このときムハンマドはエルサレムの神殿上の岩から天馬に乗って昇天し、神の御前に至ったのだという。俺はイスラムの建築の美しさを知っている。すべての偶像を排したそれは、対称物を描くことすら許さない。ひとつ、ひとつの文様がきめ細かく、おなじ文様はひとつとしてない。俺は宇宙を思った。無慈悲で、広大な深淵。青い闇が横たわっていた。

この紙幣を手に入れた経緯については今はどうでもいい。俺は背広とネクタイ姿の男が何を思ったのか知りたいだけだ。そして、それは永遠に不可能となった。俺にできるのは、ただ想像することだけだ。紙幣のデザインの素案を提案したのが彼だったとしたら、その時何を考えていたのか?背広とネクタイ姿の男がムハンマドについて考えたことは何か?

あるイラン人の男とサダム・フセインについて話したことがあった。彼はイランで軍隊を経験した。イランは徴兵制をひいている。俺はイランのバス上で誰何された時に、彼らの顔を見ている。引き締まった顔をしていた。目の力も強い。今はイランから逃げているその男と酒を呑みながら、話はイラン・イラク戦争に及んだのだった。

「あのとき、フセインは賢かったんじゃないですか?イラン・イラク戦争をやらなければ、イラクはなかったですよ」

ひとりの独裁者と呼ばれた愛国者の影で、"A happy new year"と電波が飛び交うなかで、血まみれの殺し合いは続いている。今はゼロとなったイラクディナールが誰もいない砂漠で宙を舞っている。




http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070101k0000m030030000c.html
フセイン死刑執行:故郷の村に埋葬 新たな処刑前の映像も
 【カイロ高橋宗男】30日に絞首刑になったフセイン元イラク大統領の遺体が31日未明、出身地である北部ティクリート近郊のオウジャ村の一族の墓所に埋葬された。地元出身部族長らがロイター通信などに語った。また、中東の衛星テレビ「アルジャジーラ」が放映した新たな映像などから、処刑の際の新たなやり取りが明らかになった。
 同通信によると、元大統領の葬儀は同村の墓所で31日午前3時(日本時間同日午前9時)過ぎから始まった。墓所には、03年7月にイラク駐留米軍によって殺害された元大統領の長男ウダイとニ男クサイ両氏も眠っている。
 アルジャジーラなどが放映した、携帯電話のビデオカメラで撮影されたとみられる映像によると、元大統領は絞首台の前で「アラーは唯一の神。ムハンマドは神の預言者」と唱えた。元大統領が復唱しようとした瞬間に足元の扉が開き、言葉は「ムハンマド」で途切れた。映像には「圧政者は死んだ」「3分ぐらいつるしたままにしておけ」などという声が記録されている。
 また、処刑に立ち会ったイラク高等法廷のハダド判事が英BBC放送に語ったところでは、執行者が「イラクをなぜ崩壊させた」と言ったところ、元大統領は「私は侵略者を、ペルシャ人を、イラクの敵を撃退した。イラクを貧困から裕福な世界に変えた」と反論したという。
 AP通信によると、バグダッド各地では30日、拷問を受けたとみられる少なくとも12人の遺体が発見された。
毎日新聞 2006年12月31日 19時12分