Monday, January 01, 2007

一枚の紙切れ

俺は今、一枚の紙切れを眺めている。薄紫色のやや色褪せた紙幣。イラクディナール。どれだけのイラク人の手を渡ったのだろうか、染みや汚れが所々に目立つ。両端にアラビア数字で250と刻まれており、やや若い面持ちのサダム・フセインが背広とネクタイ姿で描かれている。裏面には「岩のドーム」が描かれている。美しい花を彩ったレリーフがその傍らにある。岩のドームはエルサレムにあるイスラム教の聖地で、7世紀末に完成した神殿。ムハンマドが一夜にして昇天する旅を体験した場所とされる。

伝承によれば、このときムハンマドはエルサレムの神殿上の岩から天馬に乗って昇天し、神の御前に至ったのだという。俺はイスラムの建築の美しさを知っている。すべての偶像を排したそれは、対称物を描くことすら許さない。ひとつ、ひとつの文様がきめ細かく、おなじ文様はひとつとしてない。俺は宇宙を思った。無慈悲で、広大な深淵。青い闇が横たわっていた。

この紙幣を手に入れた経緯については今はどうでもいい。俺は背広とネクタイ姿の男が何を思ったのか知りたいだけだ。そして、それは永遠に不可能となった。俺にできるのは、ただ想像することだけだ。紙幣のデザインの素案を提案したのが彼だったとしたら、その時何を考えていたのか?背広とネクタイ姿の男がムハンマドについて考えたことは何か?

あるイラン人の男とサダム・フセインについて話したことがあった。彼はイランで軍隊を経験した。イランは徴兵制をひいている。俺はイランのバス上で誰何された時に、彼らの顔を見ている。引き締まった顔をしていた。目の力も強い。今はイランから逃げているその男と酒を呑みながら、話はイラン・イラク戦争に及んだのだった。

「あのとき、フセインは賢かったんじゃないですか?イラン・イラク戦争をやらなければ、イラクはなかったですよ」

ひとりの独裁者と呼ばれた愛国者の影で、"A happy new year"と電波が飛び交うなかで、血まみれの殺し合いは続いている。今はゼロとなったイラクディナールが誰もいない砂漠で宙を舞っている。




http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070101k0000m030030000c.html
フセイン死刑執行:故郷の村に埋葬 新たな処刑前の映像も
 【カイロ高橋宗男】30日に絞首刑になったフセイン元イラク大統領の遺体が31日未明、出身地である北部ティクリート近郊のオウジャ村の一族の墓所に埋葬された。地元出身部族長らがロイター通信などに語った。また、中東の衛星テレビ「アルジャジーラ」が放映した新たな映像などから、処刑の際の新たなやり取りが明らかになった。
 同通信によると、元大統領の葬儀は同村の墓所で31日午前3時(日本時間同日午前9時)過ぎから始まった。墓所には、03年7月にイラク駐留米軍によって殺害された元大統領の長男ウダイとニ男クサイ両氏も眠っている。
 アルジャジーラなどが放映した、携帯電話のビデオカメラで撮影されたとみられる映像によると、元大統領は絞首台の前で「アラーは唯一の神。ムハンマドは神の預言者」と唱えた。元大統領が復唱しようとした瞬間に足元の扉が開き、言葉は「ムハンマド」で途切れた。映像には「圧政者は死んだ」「3分ぐらいつるしたままにしておけ」などという声が記録されている。
 また、処刑に立ち会ったイラク高等法廷のハダド判事が英BBC放送に語ったところでは、執行者が「イラクをなぜ崩壊させた」と言ったところ、元大統領は「私は侵略者を、ペルシャ人を、イラクの敵を撃退した。イラクを貧困から裕福な世界に変えた」と反論したという。
 AP通信によると、バグダッド各地では30日、拷問を受けたとみられる少なくとも12人の遺体が発見された。
毎日新聞 2006年12月31日 19時12分

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