Sunday, January 28, 2007

女性は産む機械、だってさ

いいのかね、これ?人間をバカにしすぎじゃないの?俺は心の底から軽蔑を覚える。殺したいくらいに。 こういう発言には殺意を抱くべきだ。

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http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070128k0000m010094000c.html
柳沢厚労相:女性を「出産する機械」とも例える発言
柳沢伯夫厚労相
 柳沢伯夫厚生労働相は27日、松江市で開かれた自民党県議の集会で講演した。講演は年金・福祉・医療問題に関するもので、出席者によると、柳沢厚労相は少子化対策に言及する中で「15から50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、機械と言うのは何だけど、あとは一人頭で頑張ってもらうしかないと思う」などと述べたという。少子化対策にかかわる閣僚による、女性を「出産する機械」とも例える発言だけに、今後批判を強く受けそうだ。

Tuesday, January 23, 2007

ビートルズとクラシック

これ、大問題だと思うんですが。やれやれ、アホらしくてため息しか出ねえわ。音楽をまったく理解していない糞バエどものすることなど気にしなくていい。

みんなが好きな歌を、自由に歌えばいいんだよ。

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ピアノバー店主、著作権料払わずビートルズ生演奏 

ビートルズの曲を著作権料を払わず生演奏したとして著作権法違反でピアノバー店主が逮捕・起訴された異例の事件で東京地裁は22日、懲役10月執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。積もり積もった使用料は10年で約840万円。JASRAC(日本音楽著作権協会)をナメたら怖い-。
 有罪を言い渡されたのは東京都練馬区石神井町でピアノバー「ビストロ・ド・シティ」を経営していた男(73)。バーは昭和56年にオープンし、地元音大生をアルバイトで雇って、主にショパンなどのクラシックを演奏させていた。そのうち客のリクエストに応じてビートルズのナンバーなど、ポピュラーを演奏させるようになった。
 60年10月、店を訪れたJASRAC職員が使用料を払うよう男に要請したが、「すべての店が支払っているわけではない」「クラシック曲しか演奏しない」と支払いを拒否。一時は「演奏をやめる」と表明したもの、実際には“地下演奏”を続けていた。
 JASRACは平成13年2月、東京地裁に演奏中止を求める仮処分を申請し、認められた。
 それでも同店は演奏をやめず、JASRACが確認しただけでも15回も演奏したため、「話し合いはムダ」と判断。警視庁に刑事告訴を行い、男は昨年11月、石神井署に逮捕された。
 同店は客席が33席あり、1曲あたり90円の使用料が発生するといい、13年の段階で未払いは10年分840万円に膨れ上がっていた。公判で男は「まさか逮捕されるとは思わなかった。法律を甘くみていた」と述べた男。たまったツケは、ヘイ・ジュード(重度)?
http://news.aol.co.jp/story/news.date=20070123162340&company=11&genre=05&sub=003&article=320070123018.html

Thursday, January 18, 2007

緊急宣伝

友人たちのブログを読んでいると、阪神淡路大震災から12年経ったことについて書かれていた。自分も何か書くべきなのかと思った。あの日、大阪の朝、学校が休みになって、うれしかったこと。隣町の、テレビの向こうの出来事だった。追悼の資格など俺にはない。その代わり、以下のメールを貼り付ける。


<報告> 1月15日(月)に「除却命令書」が交付され、期限は1月21日(日)とされています。今後、前回通りであれば、「戒告」「代執行令書の交付」と手続きがすすみ、強制排除を迎えることになります。Xデーはまだはっきりとわかりません。1月29日30日頃と予想しますが、もっと早まったり2月にずれ込んだりするかもしれません。

 テント村には今日現在で7人の仲間が暮らしていますが、うち6人はいまだ引っ越し先が見つからない状況です。「テントを追い出されても、よその地域でアルミ缶拾いはできんから、長居で野宿する」と言っている仲間もいます。10月以降、これまでに10人の仲間が生活保護の申請をするなどしてテント村を離れました。行政は「説得に応じて自主退去した」と宣伝していますが、「強制排除されるならかなわんな」というなかのことであり、説得という寄り脅迫に近いものでした。テント村を離れた仲間は今もたびたびテント村に顔出してくれたり、連絡を取っていて、大阪市に対する怒りの気持ちは同じだと思っています。 さまざまなメディアが報じており、テレビ局のページに動画が配信されているものもありますが、日本インターネット新聞JANJANにもあがっています。笹沼さんのインタビューもあります。私もテレビなどでスカした面をさらしていますが、実際はくやしいやら情けないやらでたいへんです…。が、今のところ冷静に移転先を探しつつ抗議行動を展開していきます。

http://www.janjan.jp/living/0701/0701117897/1.php

 強制排除に反対する署名はこれまでたくさんの方にご協力いただき、現在までに3000筆以上が集まりました。「長居公園の野宿者を応援する市民の会」も立ち上げられ、長居の駅前などでの署名集めを展開してくださっています。予想以上の反応で、わずかな時間に200筆以上の署名が集まり、大阪市行政が排除の理由に挙げた「地域の苦情」がデマあるいは偏向だと確信しました。署名はぎりぎりまで募り続けます。以下の釜ヶ崎パトロールの会のページからダウンロードすることもできますし、連絡いただけたら郵送いたします。

http://kamapat.seesaa.net/article/29791212.html

 また、釜パトのブログには長居の仲間が大阪市に提出した「弁明書」や、「抗議文」もアップしています。「立ち退くことができない理由」を当事者の自筆で、あるいは聞き取りを通じて伝えています。ぜひごらんになってください。 除却命令の期限となる1月21日(日)には、テント村で交流イベント「プチ大輪まつり」を開催します。お昼頃から夕方まで、ライブあり芝居ありで楽しくやります。芝居は17時ごろから。大晦日に上演して好評だった、テント村の仲間6人+若者でつくったしばいの再演をします。 他の機会にも、ぜひ長居公園のテント村に遊びによってください。

<要請> みなさまにはそれぞれのスタンスから、大阪市に抗議を寄せていただくことをお願いします。また、9月27日にでっちあげの事前弾圧により逮捕されたうちの4人の仲間はいまだ大阪拘置所の中におり、保釈の目処も立っていない状況です。拘留中の仲間に面会していただける方は、拘置所の人数制限による調整のため、釜ヶ崎医療連絡会議06-6647-8278までご連絡いただけたら助かります。 
大阪市経営企画室         電話・06-6208-9720  
大阪市ゆとりとみどり振興局    電話・06-6615-0614 FAX06-6615-0659 
大阪市市民局 市民部 広聴相談課  電話・06-6208-7333 FAX06-6206-9999 
大阪府警察本部          電話・06(6943)1234 

よろしくお願いします。 また、代執行当日には長居公園現地での抗議に駆けつけてください。最寄り駅は地下鉄御堂筋線「長居」3番出口、JR阪和線「長居」です。 長居公園仲間の会では、これまでの取り組みの中で積み上げてきたたくさんの多様な人々とのつながりを、抗議行動にも生かしていきたいと考えています。うた、芝居、絵を描く、詩を読む、などなど、多様で多彩な活き活きとした表現で、強制排除への抗議を展開できたらと考えています。 おれたちはゴミじゃない!ガードマンや市職員の前で、人間としての表現をしていきたいと思います。******************** 長居公園仲間の会 nagaipark_tentvilla @ yahoo.co,jp

Saturday, January 13, 2007

本の紹介

未読だが、一読の価値のありそうな本の紹介を。皇室のバカらしさってのがよく分かりそうなので。いつか、天皇制についてはじっくり書かないといけないと思っていた。ヒルズ記者ははっきり、雅子は鬱病=depression だって書いている。しかもdeepだと。これが、外国人記者の客観的な観察なんだろう。皇室が、日本の家族のモデルなら、全国の女性は鬱病になってしまうわけか。馬鹿馬鹿しい!


題名 雅子王妃 菊の棘の牢獄 日本皇后の悲劇の真実 ベン・ヒルズ

Princess Masako
Prisoner of the Chrysanthemum Throne
The Tragic True Story of Japan’s Crown Princess
By Ben Hills

A brilliant woman sacrifices her career to marry a love-struck prince. Inevitably, the fairy-story turns to tragedy when Masako Owada is unable to adjust to the pressures of living in Japan's ancient imperial court. It was feared that the royal dynasty, the world's oldest with a 2600-year-history, would die out if Masako and Crown Prince Naruhito could not bear a boy - but after 13 years of marriage, both are now in their 40s and have only a daughter, little Aiko, born with the help of IVF. Even the birth this year of a new son and heir to her sister-in-law Princess Kiko has done little to relieve Masako's stress - and has only postponed for a generation the vexed issue of changing the law to allow a woman to inherit the throne.
Inevitably, the strain of it all has had a terrible impact on Masako. She has been afflicted with painful shingles, and is suffering from deep depression - although the palace will not admit it. There has been talk of divorce, though no royal has ever divorced in Japan's history. Some say the prince is considering renouncing the throne for his love - leaving the crown to his brother. The Emperor is ailing with cancer, and the imperial system is in crisis.
This book draws on more than a year of research in Tokyo and rural Japan, Oxford, Harvard, Sydney and Melbourne. It involved more than 60 interviews with Australian, Japanese, American and English sources - Masako's and Naruhito's friends, teachers and former colleagues - many of whom have never spoken publicly before. It explores, for the first time, the 'Australian connection' with the royal couple. It includes intimate portraits of Masako and Naruhito from childhood to marriage and beyond; a look behind the 'Chrysanthemum Curtain' to the arcane world of the Japanese royal family, where vestal virgins still preside at Shinto rites and the position of royal stool inspector was only recently abolished. Through their love affair it opens a window on Japanese attitudes towards parenting, mental illness, the role of women, and the place of the monarchy.
Princess Masako asks and answers many questions which can never be raised in Japan because of the reverence in which the Emperor and his family are held. What is the real reason Masako had to abandon her studies at Oxford ? Why did Kunaicho, the powerful bureaucrats of the Imperial Household Agency, oppose the marriage ? Who are the shadowy figures who persuaded Masako to give up her career and marry the prince ? Why is there such secrecy over the couple's use of IVF, and Masako's mental illness ? What does the future hold for the star-crossed couple - and for the survival of the monarchy.
But above all it is the story of a romance gone wrong, an Oriental Charles and Diana story which neither will survive undamaged, but from which neither seems capable of escaping.
Princess Masako was published in Australia by Random House on November 1 2006. It will be published in January 2007 in the US by Penguin, and a Japanese language edition is to be published shortly in Tokyo by Kodansha. Other European rights are being negotiated. If you have any difficulty obtaining a copy, contact Ben at info@benhills.com

『サラバンド』

ベルイマンの映画について考え続けている。今、この日記を綴るにあたって、どの人称を選択すべきかも分からない。俺、ぼく、私、のいずれを使うべきかということ。それほどの混乱を『サラバンド』には与えられた。英語の「I」にあたるものが日本にあれば、と思うことがある。人称に従い、自分の人格を仮構すること、もっと正確に言えば、他なるものに対して、どのような位置をとるか、日本においての他者との関係性は人称に如実に現れる。このあたりに、ラカンが「日本人には精神分析は不要だ」と指摘した秘密があるのだろう。カタカナとして諸物の外来性を保存し、近代概念は漢字という外来文字で表す。とても柔軟で、なおかつ排他的な言語を駆使して、ベルイマンを綴ることができるのだろうか?

私は、「私」を選択することにする。ベルイマンは自らの私的体験を、普遍性にまで昇華させた男だ。彼を語るには私がふさわしいような気がする。そもそも、なぜ、あれほどの衝撃を私は受けたのだろうか?

プロローグ
『サラバンド』は今まで自分が観たことのない映画だった。それは導入部からして、そうだった。机にうず高く積まれた写真の山のカット。そこから、人物に下降する。写真を用いて、リヴ・ウルマン扮するマリアンがカメラ目線で、自らの人生の遍歴を語りだす。ぎこちない、されどストレートな演出だと思った。この映画には何か重要なメッセージが込められている。そう思わせるような。そして、その重要なメッセージを孕んだ事件に、ひとりで対峙せねばならない覚悟をも喚起する。さしあたって、ベルイマンがこの映画を最後に、もう二度と映画を作らない遺言状としての作品だということは知っていたので、このカットにて、画面と映画館に緊張が走るのが分かった。マリアンは自身の娘の生活ぶりを語り、別れた夫を懐かしみ、衝動的に彼に会いに行く計画を観客に告げる。30年ぶりに。

第1章、「マリアン、計画を実行に移す」

ヨハンとマリアンの再会について。
マリアンが森深くにある、ヨハンの別荘を訪れる。空き巣のように、忍び足で。別荘に入り、しばらくヨハンの生活ぶりを観察するマリアン。ここでもカメラに向かって語りかけてくる。テラスで昼寝するヨハンをマリアンが見つける。窓越しにヨハンを眺めるマリアン。彼女はここで、ヨハンに声をかけるか、このまま立ち去るか戸惑う。沈黙の1分を観客に強いる。扉を開け、寝ているヨハンにキスする。かつてのふたりの親密さが会話の中で再現される。ヨハンは立ち上がり、「抱きたいんだ」といってマリアンに近づく。「あなたと私が抱き合うの?あなたったら・・・。年を取ってもおバカさんね」。そういって二人は抱擁する。

もうこのシーンから、涙を止めることができなかった。これは何なのだろう。この画面に顕れる親密さは。

Thursday, January 11, 2007

帰る

今日は、ひさしぶりにオーストラリアの連れとチャットをする機会があった。みんな、仕事探しに奮闘中の模様だ。ちなみに、一緒に住むのはアイルランド人、韓国人、日本人。国土面積がせせこましい国の出身者たちが、シドニー郊外の裏庭付き邸宅でせせこましく暮らしている状況が伝わってきて、ほほえましい。誰かと一緒に住むことは、うっとうしいこともあるが、誰かがそばにいれば安心するし、俺は帰るところがあることを素直にうれしく思う。

世界には、いろんなホームがある。飢えた家族が暮らす難民キャンプ、遊牧民の移動式テント、旅人宿、キャラバンカー、やしの木の上、湖上ボート。どこにあっても、帰る場所があることのすばらしさ。

しかし、帰ることのきびしさというのもあるはずだ。自分の良心と向き合うこと。空っぽの部屋に帰るとき、だれも見ていないのに、誰かに怒られている感覚。

けれども、帰る家が地獄という場合はどうなるのだろう?路上に転がる捨てられた存在。虐待を受け、ほっとする場所すらない存在。居場所のない小さい心。それを想って、泣いた。彼らの家はどこにある?帰るという行為を奪われたものたちに、再びどこかへ帰る場所が生まれることを俺は望む。

「世界の涙の量は不変だ。だれか一人が泣き出すたびに、どこかでだれかが泣き止んでいる」

俺は生涯、帰る場所のないストレンジャーとして生きるだろう。しかし、どこかに帰るという感覚も、きっと忘れることはできないはすだ。どこにいたっていい。あしたの家に向かって、トボトボと歩いていこうと思う。ひとつ、ひとつの光景を味わい、ゆっくりと呼吸しながら。

Friday, January 05, 2007

原爆日記

面白い記事があったのでメモしておこう。失敗してよかった、と思う。歴史はやはり面白い。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070105k0000e040072000c.html
原爆日記:旧理研研究者が残す 終戦直前開発断念の記録 
万年筆で几帳面に書かれた山崎さんの日記。毎日のように空襲があったことが読み取れる
 戦時中に旧理化学研究所(東京都文京区、現在の理研)で原爆を研究していた物理学者の日記が見つかり、近く発刊の「仁科芳雄往復書簡集・第3巻」(みすず書房)に掲載される。原爆製造に必要なウラン235の濃縮に失敗し、開発を断念する様子を克明に記した貴重な記録。研究に関する記録は終戦直後「原爆を造っていたことがわかれば死刑になる」とのうわさからすべて焼却されたとされており、関係者からは「よく残っていた」と驚きの声が上がっている。
 筆者は、旧理研の仁科博士の研究室でサイクロトロン(イオン加速器)の建設や原爆研究に携わっていた山崎文男さん(1907~81年)。旧理研での原爆研究は43年1月にスタートした。日記は終戦間際の45年1月から8カ月間、ほとんど毎日書かれていた。神奈川県鎌倉市に住む長男和男さん(67)が保管していたが、山崎さんと一緒に研究した元理研副理事長の中根良平さん(85)が、書簡集の編集に携わる中で原爆開発に関する記述があることに気づいた。
 日記は45年4月、ウランの濃縮を試みた「熱拡散塔」のあった49号館が空襲で焼失した日の模様をつづっている。これを機会に旧理研の原爆研究は難しくなった。
 <4月14日(土)11時頃(ごろ)空襲サイレン。(中略)理研にゆく。49号館を守る可(べ)く敢闘。23号館で休。夜があけて東側の壁が燃え出し、もう消火の元気なくただ見守る>
 焼失前にその塔で濃縮作業をした最後のウランは5月、サイクロトロンで分析された。
 <5月10日(木)午後U(ウラン)の測定を続ける。negative(失敗)である>
 サイクロトロンで高速の中性子を当て、出てくるベータ線の量に変化があれば濃縮は成功であることを示し、日本の原爆研究は大きく進むはずだった。しかし、ベータ線の量は誤差の範囲に収まっていた。
 中根さんは「山崎さんはnegativeという一言で表現したが、かなりショックだった。私も40時間かけて不純物を取り除いたし、これがダメならすべて終わりだったから」と語る。この測定を最後に、日本の原爆研究は事実上終止符が打たれた。
 中根さんは「私自身も終戦直前、実験日誌をすべて焼いてしまった。山崎さんの日記を読むと当時の苦労が思い出され、感慨深い」と話している。【中村牧生】
毎日新聞 2007年1月5日 15時00分

Fail better

新年会シーズンということで、いろんな友人と再会した。

まずは地元の連れ、二人と地元の飲み屋に行った。中学生のときから、変わらないこともある。いまだに中学時代のバカな話をして笑う。俺らの中学はめちゃくちゃだったので、話は尽きることがない。だけど年々、旧友たちが疲弊し磨り減っている印象を受けるのがイヤで仕方ない。少年の心が日本社会に押しつぶされていく。そろそろ俺も結婚せんとな、とか言う。キャバクラ、上司、新人の女子社員、そのほかのもの。ビール片手に、中学生のときには見せなかった表情をする。今さら、そんな顔すんなよ、といえるわけでもない。それぞれの人生をそれぞれが進めるしかないのは分かってる。それに、俺らが友達であることはいつまでたっても変わりはない。たまには息抜きにシドニーに遊びに来い、ってだけ伝えておいた。

尼崎の連れ。こっちは鍋だった。笑いに笑った。なかには調子の悪い人もいるが、やりたいことをやっている人たちは違う。表情がいい。やりたいことがはっきりしなくて、迷っているやつもいる。だけど、世間にどう思われようが、人生やったもんがちだ。それが、年々はっきりしていく。理想を持ち、試行錯誤し、実現に近づける、この積み重ねが、人の顔を作る。そうあってこそ、他人にやさしくあることができる。

サミュエル・ベケットの言葉だ。"Ever tried. Ever failed. No matter. Try again. Fail again. Fail better. "

みんな、やりたいことをやってくれ。俺もやりたいことをがんばるだけだ。そしてうまく失敗できることを心から願う。

Thursday, January 04, 2007

宣伝

とりいそぎ。

『越冬闘争とは、野宿・日雇労働者の冬を生き抜くための闘い』

全国の野宿者人口は、約3万人、大阪府は約1万人と一番多く、京都府は約800人と言われています。 毎年大阪だけで200人以上が路上で死んでいます。 そして年末・年始は野宿・日雇労働者にとって、各地の行政の窓口が閉まり、建設の日雇いの仕事はなくなり、冬の寒さの厳しい時期です。 そのため野宿・日雇労働者の冬を生き抜く闘いである越冬闘争やその他の越冬の取り組みが下記のように関西の各地で行われます。 それに参加しようと広く呼びかけるため、主に京都の学生やフリータで「06→07越冬闘争に連帯する学生・青年実行委員会」を立ち上げました。 ぜひ越冬の取り組みにいっしょに参加しませんか。(活動期間は12月27日~1月10日)

『越冬闘争への参加』 私たちと一緒に参加される方はとりあえず電話tel:090-7963-5788を下さい。 越冬闘争やその他の越冬の取り組みは各地の当事者、支援者によって取り組まれており、炊き出し・夜回り(安否確認や情報提供のパトロール)・夜警(襲撃を避けるために集団野営している場所を警備する)などの「生き抜くための」活動、ライブやもちつきなどのイベントが行われています。 是非、参加して自分たちでいろいろなことを感じて下さい。 参加しやすいように、知っているスケジュールを伝えたり、宿 舎を案内したりします。 私たちが活動を行うのは12月27日~1月10日までです。 06→07越冬闘争に連帯する学生青年実行委員会  tel:090-7963-5788 ※ (以下、転送歓迎です)

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 長居公園仲間の会/釜ヶ崎パトロールの会のNです。  今日12月26日、大阪市が会見を開き、長居公園の野宿の仲間のテント村について法的手続き(行政代執行)に入ることを公表しました。 来月1月5日には「除却命令を行うという弁明機会付与の通知」を出し、10日頃に「除却命令」を出すとのことです。  ちょうど一年前の2006年1月5日には、大阪城公園・うつぼ公園の野宿の仲間に対し「弁明機会付与の通知」が届きました。 1月13日には「除却命令」が、1月24日には「代執行令書」が交付され、1月30日に行政代執行による強制排除が行われました。 ほぼ同じスケジュールで、1月中旬から下旬にかけての時期に強制排除となる見通しです。 日程には、07年1月28日に長居公園で予定されている「大阪国際女子マラ ソン」とのからみもあると思います。  長居公園のテント村には現在10名の仲間が暮らしています。 数名の仲間は「自立支援事業」を受け皿にした排除に抗議して抵抗を続ける意志で、仲間の会としても代執行の当日も抗議行動に取り組む考えでいます。  その日まで、仲間はいつも通りの生活を続けます。 また、強制排除された後も、どこかで野宿しながらでも生きていかねばなりません。 その、ひとつながりの生活自体が、特にこの越冬期、野宿の仲間にとっては闘いです。 仲間の会はたとえ強制排除されたとしてもその後も仲間とつながり続け、野宿を支えともに生きる活動を続けていきたいと考えています。  みなさまにはそれぞれのスタンスから、大阪市に抗議を寄せていただくことをお願いします。 また、9月27日に事前弾圧により逮捕された4人の仲間はいまだ大阪拘置所の中におり(別件逮捕のひとりは10月18日に釈放されました)、保釈の 目処も立っていない状況です。
大阪市経営企画室          電話・06-6208-9720 
大阪市ゆとりとみどり振興局     電話・06-6615-0614 FAX06-6615-0659  
大阪市市民局 市民部 広聴相談課  電話・06-6208-7333 FAX:06-6206-9999  
大阪府警察本部           電話・06(6943)1234  

よろしくお願いします。  
立ち退き期限となる12月31日には、テント村で毎年恒例となったもちつきをやります。
早朝から夕方まで、うたや紙芝居もありで楽しくやります。
17時ごろからは、テント村の仲間6人+若者でしばいの上演をします。
野宿の仲間の生活や、それぞれの思いをテーマにしたしばいです。
お時間のある方、ぜひ観にいらしてください。  
他の機会にも、ぜひ長居公園のテント村に遊びによってくだ さい。
********************  
長居公園仲間の会  nagaipark_tentvilla @ yahoo.co,jp
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映像流出

さっき、アメリカのPBSをボンヤリ見ていたら、フセインの処刑映像の流出が大問題になっているらしい。俺なんかは、よくぞやってくれたものだ、と思うのだが。PBSの記者は、「この一件はイラクの今の状況をよく象徴している、シェイクスピアンの劇のような」なんたらかんたら言っていた。しかしイラクの携帯電話ってビデオ付きなのかと、変なところで関心していたりした。オーストラリアで俺の使っていた携帯は写真すらもとれないものなので、イラク進んでるな、と。カブールでも、ちょっとした金持ちクラスは携帯電話を使っていたので、さもありなんと思うのだが、しかし。。。ちょっとひっかかる。あまりに不用意ではないだろうか。死刑執行人のなかには、フセインに対して恨みを抱いている者もいるはずで、私的報復を防ぐために、刃物などを持ち込まないかボディチェックをするのが当然だ。どうやって、携帯電話を持ち込んだんだ?おそらく、この映像を撮影した男には確固とした目的があるはずだ。この男が何者で、どの勢力に属しているかで、それはいくらか明らかにされるかもしれない。

いずれにせよ、その男の勇気は認めなければならない。その勇気がなければ、残虐が闇の中に葬りさられるところだった。我々は心して、何が起こったのかを目撃しよう。

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/news/20070104k0000m030022000c.html
フセイン処刑:イラク内外で抗議デモ相次ぐ
 【カイロ高橋宗男】12月30日のフセイン・イラク元大統領の死刑執行に抗議するデモがイラク内外で相次いでいる。インターネットを通じて流出したビデオ映像で、イスラム教シーア派の執行人らが死刑執行の際、「地獄へ落ちろ」などと元大統領を罵倒(ばとう)していたことも明らかになり、スンニ派の怒りを増幅させることになった。元大統領の早期死刑執行によって負の歴史に幕を引き、国民和解を促そうというマリキ首相のもくろみは完全に外れた格好だ。
 ロイター通信によると、元大統領の遺体が埋葬された北部ティクリート近郊のオウジャ村には連日、数千人のスンニ派住民が訪れ、元大統領の死を悼んでいる。ティクリートや北部モスルでも数千人規模のデモがあり、参加者は元大統領の肖像画や「殉教者」とあがめる横断幕を手にイラク政府を批判した。中部サマラやバグダッドのスンニ派居住区などでも同様の抗議が行われている。
 死刑執行への抗議はイラク国外にも広がっている。ヨルダンの首都アンマンでは1日、元大統領の長女ラガドさんが1000人規模の抗議集会に出席し、「殉教者サダムへの敬意に感謝したい」と述べた。抗議行動はパレスチナ自治区のヨルダン川西岸各地やインドのカシミール地方などでも行われている。
 イスラム世界の大半を占めるスンニ派の人々の間には、祝祭である犠牲祭(イード・ル・アドハ)の初日に元大統領の死刑が執行されたことへの反発が強い。寛容の精神を示す犠牲祭期間中に、あえて死刑を執行したイラク政府に対する嫌悪感が強まっている。
毎日新聞 2007年1月3日 19時10分 (最終更新時間 1月3日 22時29分)

Monday, January 01, 2007

一枚の紙切れ

俺は今、一枚の紙切れを眺めている。薄紫色のやや色褪せた紙幣。イラクディナール。どれだけのイラク人の手を渡ったのだろうか、染みや汚れが所々に目立つ。両端にアラビア数字で250と刻まれており、やや若い面持ちのサダム・フセインが背広とネクタイ姿で描かれている。裏面には「岩のドーム」が描かれている。美しい花を彩ったレリーフがその傍らにある。岩のドームはエルサレムにあるイスラム教の聖地で、7世紀末に完成した神殿。ムハンマドが一夜にして昇天する旅を体験した場所とされる。

伝承によれば、このときムハンマドはエルサレムの神殿上の岩から天馬に乗って昇天し、神の御前に至ったのだという。俺はイスラムの建築の美しさを知っている。すべての偶像を排したそれは、対称物を描くことすら許さない。ひとつ、ひとつの文様がきめ細かく、おなじ文様はひとつとしてない。俺は宇宙を思った。無慈悲で、広大な深淵。青い闇が横たわっていた。

この紙幣を手に入れた経緯については今はどうでもいい。俺は背広とネクタイ姿の男が何を思ったのか知りたいだけだ。そして、それは永遠に不可能となった。俺にできるのは、ただ想像することだけだ。紙幣のデザインの素案を提案したのが彼だったとしたら、その時何を考えていたのか?背広とネクタイ姿の男がムハンマドについて考えたことは何か?

あるイラン人の男とサダム・フセインについて話したことがあった。彼はイランで軍隊を経験した。イランは徴兵制をひいている。俺はイランのバス上で誰何された時に、彼らの顔を見ている。引き締まった顔をしていた。目の力も強い。今はイランから逃げているその男と酒を呑みながら、話はイラン・イラク戦争に及んだのだった。

「あのとき、フセインは賢かったんじゃないですか?イラン・イラク戦争をやらなければ、イラクはなかったですよ」

ひとりの独裁者と呼ばれた愛国者の影で、"A happy new year"と電波が飛び交うなかで、血まみれの殺し合いは続いている。今はゼロとなったイラクディナールが誰もいない砂漠で宙を舞っている。




http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070101k0000m030030000c.html
フセイン死刑執行:故郷の村に埋葬 新たな処刑前の映像も
 【カイロ高橋宗男】30日に絞首刑になったフセイン元イラク大統領の遺体が31日未明、出身地である北部ティクリート近郊のオウジャ村の一族の墓所に埋葬された。地元出身部族長らがロイター通信などに語った。また、中東の衛星テレビ「アルジャジーラ」が放映した新たな映像などから、処刑の際の新たなやり取りが明らかになった。
 同通信によると、元大統領の葬儀は同村の墓所で31日午前3時(日本時間同日午前9時)過ぎから始まった。墓所には、03年7月にイラク駐留米軍によって殺害された元大統領の長男ウダイとニ男クサイ両氏も眠っている。
 アルジャジーラなどが放映した、携帯電話のビデオカメラで撮影されたとみられる映像によると、元大統領は絞首台の前で「アラーは唯一の神。ムハンマドは神の預言者」と唱えた。元大統領が復唱しようとした瞬間に足元の扉が開き、言葉は「ムハンマド」で途切れた。映像には「圧政者は死んだ」「3分ぐらいつるしたままにしておけ」などという声が記録されている。
 また、処刑に立ち会ったイラク高等法廷のハダド判事が英BBC放送に語ったところでは、執行者が「イラクをなぜ崩壊させた」と言ったところ、元大統領は「私は侵略者を、ペルシャ人を、イラクの敵を撃退した。イラクを貧困から裕福な世界に変えた」と反論したという。
 AP通信によると、バグダッド各地では30日、拷問を受けたとみられる少なくとも12人の遺体が発見された。
毎日新聞 2006年12月31日 19時12分