Monday, February 26, 2007

シドニー、もうひとつの顔

オペラハウスだけが、シドニーじゃないですよ。以下のリンクは必見です。

http://www.brushtail.com.au/july_06_on/chain_up_cheney.html

シドニー、嗚呼、早く帰りたいなあ。

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Chain up Cheney! Bring Hicks home!Sydney anti-war marchers defy police ban and reclaim the streetsA Possum News Network ExclusiveWords and pictures by Gavin Gatenby
Thursday 22 February 2007

This evening 1500 anti-war demonstrators overcame a strong police presence and, after a half-hour confrontation with the NSW riot squad and mounted police marched to the US Consulate to protest against US Vice-President Dick Cheney's visit to Australia and the five-year imprisonment of David Hicks in Guantanamo Bay.
An unexpected last-minute ban by NSW Police (no doubt at the instigation of the NSW Labor Government) turned what would have been a routine demonstration into a major test of the right to march.
The demonstrators prevailed after hundreds filtered through the police cordon around Town Hall Square. The remaining demonstrators bottled up in the square then voted to disperse and move in small groups to the US Consulate in Martin Place. Faced with the impossibility pursuing hundreds of small groups of demonstrators through Thursday night shopping crowds, the police relented and allowed the demonstration to proceed to the US Consulate.

Thursday, February 15, 2007

サッカー狂い

今日は、自分がどれだけサッカーを愛しているのか、ぶっちゃける。

それは、こんな記事を読んだからだった。


http://www.mainichi-msn.co.jp/sports/feature/news/20070215k0000e030012000c.html

シャラポワ:国連開発計画の親善大使に就任 

14日、ニューヨークの国連本部で、国連開発計画(UNDP)の親善大使に就任、10万ドルを寄付するシャラポワさん=ロイター 【ニューヨーク坂東賢治】女子テニス世界ランキング1位のマリア・シャラポワさん(19)=ロシア=が国連開発計画(UNDP)の親善大使に就任し、14日、国連本部で記者会見した。シャラポワさんはウクライナのチェルノブイリ原発事故(1986年)の復興事業に10万ドル(約1200万円)を寄付したことを明かし、「世界にお返しできることがプロ選手である素晴らしさです」などと語った。

 シャラポワさんは事故の翌年、シベリアで生まれた。現場に近いベラルーシに住んでいた両親が胎内被ばくを心配して移住したためだった。シャラポワさんは会見で「チェルノブイリのことが心に残っていた。貧困と機会の不足が地域の若者にとって深刻な問題だ」と話し、現場を訪れたいとの希望も示した。

 UNDPの復興事業は事故の影響を受けたウクライナ、ベラルーシ、ロシアにまたがって実施されており、シャラポワさんの寄付は学校やスポーツ施設の建設など若者向けに使われるという。UNDPの親善大使にはサッカーのロナウド選手(ブラジル)やジダンさん(フランス)、女優の紺野美沙子さんらが就任している。

毎日新聞 2007年2月15日 10時19分 (最終更新時間 2月15日 10時51分)



これを読んで、ジダンのことを思い出した。以下、wikipediaより抜粋。



ジネディーヌ・ジダン:

温和な性格
敬虔なイスラム教徒であり、パーティーなど華やかな生活を好まない。 インタビュー等で見られる、はにかみ屋で静かな話し方から、謙虚で控えめな性格と評される。 チャリティー活動も熱心に行っており、人望も厚く、ピッチの外では非常に温厚なことで知られている。 また、子供時代からのアイドルは、元マルセイユのエンツォ・フランチェスコリ(ウルグアイ代表)。子供にエンツォの名前を付けるほど尊敬しており、選手として初めて対戦した1996年トヨタカップではユニフォーム交換をし、非常に感激した様子であった。

2006 FIFAワールドカップ(ドイツ)決勝戦
現役最後の試合となったイタリアとの決勝戦延長後半5分、相手DFマテラッツィの胸元に頭突きを喰らわせて一発退場。その直前に、ジダンとマテラッツィは2,3の言葉を交わしており、両者ともその内容について沈黙を続けたため、世界中で様々な憶測が飛び交い、マテラッツィによる人種差別発言の有無も取り沙汰され、社会問題となった。7月12日夕方(仏時間)フランスのTV局カナル・プリュス及びTF1によるインタビューでジダンは事件後初めて沈黙を破り、「母と姉を傷つけるひどい言葉を繰り返された」と語った。また自身の行為について、「20億、30億人が見守る中での私の行為は許されないもので、特にテレビを見ていた子供たちに謝りたい」と謝罪の意思を述べたものの、「W杯決勝の、しかもサッカー人生の終了10分前に面白半分にあんなことをすると思いますか?」「後悔はしていない。後悔をすれば、彼(マテラッツィ)の行動を認めることとなってしまう」と語り、頭突きをした行為自体は後悔していない事も強調した。7月20日、FIFAの規律委員会は、出場停止3試合及び罰金7500スイスフラン(処分当時の円換算で約70万円)の処分を決めた。ただし、出場停止処分については、彼自身がすでに現役引退を表明しているため、社会奉仕活動3日間の義務付けとなった。(→ジダンの頭突き問題を参照)

当初、その背景にはアルジェリア移民2世であるジダン自身への人種差別によるものや、のちにマテラッツィがジダンの家族を侮辱したことが原因であるとも言われたが、同年9月5日のイタリアの新聞、ガゼッタ・デロ・スポルトのインタビューでマテラッツィが「ユニホームよりもお前の姉妹(sister)の方が欲しい」とジダン側に言ったと明かした。

(引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%80%E3%83%B3)



本当に残念な事件だった。もっとジダンのプレイを見たかった。宇宙人と評される軽やかなボールさばき。仲間思いを表現する、柔らかい、最高のパス。フランス大会時に、ブラジルを粉砕した、ヘディングシュート。完璧な、至高のサッカープレーヤー、ジダン。

その彼が、相手選手への頭突きで、その選手生活を終えるなんてショックだった。そして、フランスは負けた。ブッフォンは最高のキーパーだし、イタリアのほうが総合力で上だった。だけど、ジダンがいるから、なにかしらの可能性を感じることが出来る。ジダンとはそういう選手だ。彼の退場で勝負は決まったようなものだった。

が、しかし。妹を侮辱されたなら、自分なら、どういう態度を取るだろうか。選手である前に、ジダンだって人間なのだ。

ジダンは世界の子供たちに謝る必要など全くない。大切な人を侮辱された時、ひとりの人間として、どういう振る舞いをするべきか、世界の子供たちに教えて、ジダンは去った。

いちサッカーファンとして、拍手をもって、彼の退場を見送るべきだったと、今は後悔している。

Sunday, February 11, 2007

情報の伝達速度と、その吟味のために

先ほど、NHK衛星で面白い番組がやっていた。You Tubeに掲載される”テロリスト”が投稿する映像の発信元を追跡する、テロリスト・リサーチ・センターについて。なんでも、テロリスト・ハンターなるものがいて、インターネット上にテロリストが投稿する映像を定点観測しているようだ。

最初に、断っておくが、制作したのはNHKではない。NHKに、こんな取材をする力などなく、いつものようにBBCから番組を買って、翻訳し、編集しただけだ。それを情けなく思いながら、本稿を進める。

プロパガンダという言葉がある。ナチスがその行為を美化し、宣伝するために、ヒトラーの演説を映像で流布させたのもそのひとつ。

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プロパガンダ(Propaganda)は特定の思想世論意識行動への誘導を目的とした宣伝である。心理戦の技術の一つであり、しばしば政治的な内容を持つ。ラテン語のpropagare(繁殖させる)に由来する。
(引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%91%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80)
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たとえば、ラムズフェルドやブッシュの演説を流布させることも、ひとつのプロパガンダだ。

”テロリスト”の投稿する映像もプロパガンダである。

瞬時に、数百万人が、処刑映像にアクセスする。恐怖を煽る情報戦。この番組では、イルハービ007という人物が、映像の発信元と特定され、そしてユノス・トゥーリという人が、イルハービ007であるという容疑をかけられ、今春には裁判が始まるらしい。

いくつか、疑問点があった。イルハービ007は個人なのか、団体なのかすら、分からない。

そして、映像、及び、情報の真偽というものをどう判定すればいいのか、ということを考えてしまう。

さしあたって、比較という手法が考えられる。ひとつの事象についての情報を、比較吟味する。たとえば、イラク戦争。これをアメリカ側からの視点、イラク側からの視点で見つめる態度。これが必要なように思う。これは言うまでもないことで、ある程度のメディア・リテラシーがあるのなら、誰でも取りうる態度だろう。



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メディア・リテラシー(英:media literacy)とは、情報メディアを批判的に読み解いて、必要な情報を引き出し、そのを見抜き、活用する能力のこと。「情報を評価・識別する能力」とも言える。ただし「情報を処理する能力」や「情報を発信する能力」をメディア・リテラシーと呼んでいる場合もある。なお、この項では主に、「情報を評価・識別する能力」という意味のメディア・リテラシーについて記述する。

まず、情報には、
一つの物事(物、人物、集団、出来事等)についての捉え方は、個人あるいは集団によってそれぞれ異なる。
その為、その物事に関する情報も、その情報の発信者(語り手や各種メディア等)がその物事について、どのような捉え方をしたかによって様々な影響を受けてくる。
つまり、一次情報といえども、必ず何らかのフィルターを通ってきているものであり、まったく方向性を持たない情報は無いという事である。
また、情報を意図的に改変・誇張して発信する(情報操作)事により受信者(聞き手、読者、視聴者、世論等)の考えを一定の方向に誘導する事も出来る。
一つ一つの情報は正しくても、それらが集合することによって異なった意味を持つことがある。


その情報は信頼できるかどうか
を判断する事はもちろんの事、
その情報にはどのような偏りがあるか
さらに一歩進めて、その情報を発信した側にはどのような意図・目的があるか
(つまり、なぜ、わざわざ、そのような情報を流したのか、なぜ、そのように編集したのか、を考えること)
等を始め、各種の背景を読み取り、情報の取捨選択を行う能力が求められる。そしてこれが、先の「情報を評価・識別する能力」となる。

(引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%BC)
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しかし、真偽の判断というのは、極めて時間がかかる。あるひとつの犯罪事件の、有罪無罪の判定には、何年もかかる。真実を写すと思われている写真というものも、今では巧妙に合成できるようになってしまった。

では、いったい何を手がかりにすればいいのだろう。何を信頼すれば?

さしあたって、ぼくは”痛み”というものを考えている。ことの真偽はさておき、どれだけ肉体的実感を持った痛みを感じることができるか。自分の身体をナイフでえぐられるまで気づかないほど、人間は愚かではないはずだ。痛みというものを、自身の感覚と記憶を全開して、感じようとする態度。ただ耳を澄ますこと、目を逸らさないこと。

嗅ぎ、味わい、触れ、そして、考える。

隠し切れない”痛み”や、やりきれない嘆きというものが、どれだけ切実に迫ってくるか。

小さいころに転んだことを思い出してほしい。膝小僧にできた、擦り傷の痛み。

では、地雷を踏んだら、どれだけ痛いのか。踏んだ人はこう考えないだろうか。なぜ、この地雷は、こんなところにあるのか。

感覚と記憶を全開する。

しぐさや、ふるまいや、声のトーン、まなざし。
その人間存在のすべてに対して。

たいして新しくもない、古くからの人間としての、最低限の想像力が、只今求められているのは間違いない。

ドキュメンタリーとフィクションの違いを超えて、人間は存在する。

Tuesday, February 06, 2007

シュプレヒコールと、ひとりのための言葉

「帰れ!帰れ!」

ぼくらは、叫んでいた。そのなかで、ぼくは、ときたま同調した。してしまった。

どうも、違和感がある。シュプレヒコールはただの威圧でしかない。支援者は、それをすることによって、つながるだろう。しかし。。。うーん、ぼくが試みたのは、節を変えることだった。というより、何を言ってもずれてしまう自分。勝手に、節は変わった。

ぼくは、ひとりひとりの人間の確立こそが、まずは必要なものではないかと考える。

市の職員と対峙する、ぼくら。ぼくらは誰に向かって、言葉を発しているのだろう。市の職員に対してだろうか。市の職員の誰に対して?自分の正義のため か。それとも?

言葉は、それ自体の、純粋さをもつ。そうあってこそ、誰かの心に届く。これは、ひとつの仮定として。

個人に対して、言葉を集積するべきだ。ぼくは、そう考えた。沈黙をせねばならない階級差は括弧に入れて。壁を越える言葉。というものについて、ぼくは考えていたのかもしれない。

ぼくは、そのシュプレヒコールには、感情を乗せることができなかった。感情を言葉に乗せるには、どうも、沈黙という作業が必要な気がした。ただ、じっと見つめる。怒りが沸点に達するのを待つ。

ぼくは、市の職員を嘲笑することができない。隣人と組むスクラムの温かさを感じながら、そんなことを考えた。

愛の世紀。「こんな言葉ではいけないのよ」と、パリのとある橋上で語った結核を抱えた女性。それを聞くユダヤ人の男。彼の名前は、エドガーといった。

名前はどこにいったのだろう?ひとりひとりの顔はさておき?

ひとりひとりが違う。それがないと、全く社会というものは、つまんねえ。つまんねえ、となったら、 それは終わりの始まり。弱いぼくの心は、逃げることを考え始め た。

どうして、こう、なにもかもが、つまらないのだろう?なぜだ?

つながるための言葉とは?言葉は誰に向かって、発せられるのか?そもそも大衆は、或いは市民は存在するのだろうか?

あなたの名前を、まずは聞かせてほしい。

ぼくの胸を打ったのは、野宿者ひとりひとりの顔と、つぶやくような言葉、それから叫びだった。

闘うための言葉と、ひとりのためのことば。こぼれ落ちた歌。

心の中を流れる、だれのためでもないことば。

生きるということ。


http://kamapat.seesaa.net/
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200702050007.html
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200702050059.html

Monday, February 05, 2007

『父親たちの星条旗』

『硫黄島からの手紙』の二部作である『父親たちの星条旗』を、先日観に行ってきた。堺筋を自転車で突っ走っても、開始時間から10分遅れた。したがって、映画の冒頭は観ていない。

切り替えしショットというものがある。ゴダールが『アワーミュージック』で懇切丁寧に、説明した手法である。ある事物にカメラを向ける。そのあと、その事物に対峙するものに、切り替える。たとえば、小津の映画の会話するものの、切り替えしショットは世界中の映画作家に影響を与えたといわれる。ゴダールは、『アワーミュージック』のなかで、「ドキュメンタリーとしてのパレスチナ、フィクションとしてのイスラエル」というふうに、切り替えしショットの概念を説明していた。

さておき、硫黄島での戦闘をアメリカからの視点、日本からの視点で描くイーストウッドの手法は、極めて正しかった。

http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/

『父親たちの星条旗』は、一枚の写真をめぐっての物語、あるいは歴史。擂鉢山に、星条旗を掲げた6名の米兵たちの物語である。『硫黄島からの手紙』は、硫黄島での戦闘が主として描かれていたが、こちらは、アメリカ本土に帰還した、米兵がその後どのような扱いを受けたか、それを一枚の写真をめぐって、丁寧に描いたものである。

その一枚の写真は、2度撮られた。

詳細は、またあとで。

Friday, February 02, 2007

『硫黄島からの手紙』

今日は、『硫黄島からの手紙』を観にいってきた。アメリカの友人に薦められて、彼女は日系3世で、とても可愛い人である。彼女のおじいさんは、九司道夫という、マクロビオティックの世界では有名な方らしい。

とてもおもしろい方だと思うので、興味を持たれる方はこちらへどうぞ。
http://www.michiokushi.org/

その孫娘は、先日、『硫黄島からの手紙』を観たらしく、長いメールを送ってきた。ぼくの感想を聞きたいようなので、可愛い人の依頼には即応えることにした。

とりあえず、なにも資料を見ずに、感想を綴ることにする。

渡辺謙演じる、栗原は興味深かった。アメリカで学んだ軍事知識を、アメリカに対して使うことになる。飄々とした変わり者として、最初描かれるのだが、部下の反発を招いたりしていた。語りの目線は、二宮和也が演じる西郷。イーストウッドの映画は、本当に丁寧に人物が描かれる。ワンカットも長く、どちらかというとヨーロッパ映画っぽいなと思う。それは、『ミスティックリバー』でもそうだったし、『ミリオンダラーベイビー』でも同じだった。

さておき、戦争の描写。ここまでやる必要があるのか、この老映画監督は、相当な怒りを抱えているに違いない。特に、自決のシーン。手榴弾をヘルメットに撃ち付け、胸に抱えて、自爆する。ひどすぎる。しかし、この自決の仕草をよく調べてあるということから、老監督の真摯さが感じられるではないか。このグロテスクで、愚かで、悲惨な、極限の状況を描く必要があると思ったのだ。

最も、印象に残ったのは、伊原剛志演じるバロン西という人物だった。彼は、1932年のロサンゼルスオリンピックに出場した。それで、サムという米兵の手当てを部下に命じる。そして、情報を得るために、英語で話しかけたのだ。「自分にはアメリカ人の友人がいる。1932年のオリンピックに出た」と懐かしむようにかたる。若い米兵は「ほんとですか、すごいですね」と答える。伊原剛志の顔の深さと、若い米兵の素直さに、不覚にも、涙ぐんでしまった。こんなことは有り得たかもしれないのだ。

とりいそぎ、以上の感想を綴ることにする。

鑑賞中、ぼくがずっと思っていたのは「戦争はキ印かバカがするものにきまっているのだ。戦争にも正義があるし、大義名分があるというようなことは大ウソである。戦争とは人を殺すだけのことでしかないのである。その人殺しは全然ムダで損だらけの手間にすぎない」という坂口安吾の言葉だった。イーストウッドも似たようなことを考えているように感じた。

『硫黄島からの手紙』。紛れもない反戦映画である。