Friday, February 02, 2007

『硫黄島からの手紙』

今日は、『硫黄島からの手紙』を観にいってきた。アメリカの友人に薦められて、彼女は日系3世で、とても可愛い人である。彼女のおじいさんは、九司道夫という、マクロビオティックの世界では有名な方らしい。

とてもおもしろい方だと思うので、興味を持たれる方はこちらへどうぞ。
http://www.michiokushi.org/

その孫娘は、先日、『硫黄島からの手紙』を観たらしく、長いメールを送ってきた。ぼくの感想を聞きたいようなので、可愛い人の依頼には即応えることにした。

とりあえず、なにも資料を見ずに、感想を綴ることにする。

渡辺謙演じる、栗原は興味深かった。アメリカで学んだ軍事知識を、アメリカに対して使うことになる。飄々とした変わり者として、最初描かれるのだが、部下の反発を招いたりしていた。語りの目線は、二宮和也が演じる西郷。イーストウッドの映画は、本当に丁寧に人物が描かれる。ワンカットも長く、どちらかというとヨーロッパ映画っぽいなと思う。それは、『ミスティックリバー』でもそうだったし、『ミリオンダラーベイビー』でも同じだった。

さておき、戦争の描写。ここまでやる必要があるのか、この老映画監督は、相当な怒りを抱えているに違いない。特に、自決のシーン。手榴弾をヘルメットに撃ち付け、胸に抱えて、自爆する。ひどすぎる。しかし、この自決の仕草をよく調べてあるということから、老監督の真摯さが感じられるではないか。このグロテスクで、愚かで、悲惨な、極限の状況を描く必要があると思ったのだ。

最も、印象に残ったのは、伊原剛志演じるバロン西という人物だった。彼は、1932年のロサンゼルスオリンピックに出場した。それで、サムという米兵の手当てを部下に命じる。そして、情報を得るために、英語で話しかけたのだ。「自分にはアメリカ人の友人がいる。1932年のオリンピックに出た」と懐かしむようにかたる。若い米兵は「ほんとですか、すごいですね」と答える。伊原剛志の顔の深さと、若い米兵の素直さに、不覚にも、涙ぐんでしまった。こんなことは有り得たかもしれないのだ。

とりいそぎ、以上の感想を綴ることにする。

鑑賞中、ぼくがずっと思っていたのは「戦争はキ印かバカがするものにきまっているのだ。戦争にも正義があるし、大義名分があるというようなことは大ウソである。戦争とは人を殺すだけのことでしかないのである。その人殺しは全然ムダで損だらけの手間にすぎない」という坂口安吾の言葉だった。イーストウッドも似たようなことを考えているように感じた。

『硫黄島からの手紙』。紛れもない反戦映画である。

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