Sunday, December 31, 2006

言葉の力で

チキショー!写真がアップロードできねえ!

まあ、いいや。神様が言葉の力を磨きなさい、といってるんだろう。ファック神様!ありがとう神様!さようなら2006年!

いや冗談じゃなく、腐っても最後に残るのは言葉だ。笑うなよ。

というわけなので、当方の撮影した写真を見たい方は英語版の方に行ってください。あっちも頻繁に更新してるので。

http://nothing-to-be-done.blogspot.com/

Saturday, December 30, 2006

死刑執行

フセインの死刑が執行された。写真をアップロードしたつもりだが、うまくいったかわからない。以下のアルジャジーラのページに飛べば見れる。日本の死刑囚もこうやって縊り殺される。よく見てくれ。頼むから、目をつぶらないでくれ。

http://english.aljazeera.net/NR/exeres/00086B05-1552-4329-BB22-02F15D2E25DF.htm

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061231k0000m030037000c.html
フセイン元大統領:死刑執行 「人道に対する罪」で
イラク国営テレビで放映されたフセイン元大統領の死刑執行の様子=AP
 【カイロ高橋宗男】イラクのイスラム教シーア派住民殺害事件で死刑判決が確定したフセイン元大統領(69)は30日午前6時(日本時間同日正午)ごろ、バグダッドで絞首刑に処せられた。24年間にわたり同国を独裁支配してきた元大統領は、03年のイラク戦争を経て「人道に対する罪」で裁かれた。米国の影響下で行われた裁判の正当性には疑問がつきまとい、旧フセイン政権を支えたイスラム教スンニ派の反発は必至の情勢だ。泥沼化する宗派間対立に拍車がかかる恐れがある。
 中東の衛星テレビ「アルアラビーヤ」によると、米軍施設に収容されていた元大統領の身柄は午前5時半ごろ、バグダッド北部カドミヤ地区の旧軍情報部施設(現イラク軍施設)でイラク政府側へ引き渡され、同施設内で死刑執行された。元大統領はイスラム教の聖典コーランを手に、ずきんの着用を拒否して絞首台に向かったという。執行や遺体の様子は国営テレビなどで放映された。
 元大統領は11月5日、イラク中部でシーア派住民148人が殺害された「ドジャイル事件」(82年)で死刑判決を受け、今月26日に確定した。執行命令書にはマリキ首相が署名した。元大統領とともに死刑が確定していたイブラヒム元ジュネーブ国連代表部大使らは30日は執行されなかった。
 元大統領の死刑執行を受け、マリキ首相は「追放された体制(旧フセイン政権)の支持者が自らの立場を再考し、すべてのイラク人のためのイラクの再建を支援するよう望む」との声明を出し、元大統領の支持母体だったバース党の残党やスンニ派武装組織に国民和解を求めた。
 フセイン元大統領はアラブ社会主義を掲げるバース党の要職を歴任した後、79年7月に大統領に就任。政敵を排除し、シーア派やクルド人を弾圧する恐怖政治で独裁者として君臨してきた。だが、03年3月のイラク戦争でのバグダッド陥落(03年4月)後、同年12月に北部の故郷ティクリート近郊で潜伏しているところを米軍に拘束された。
 AP通信などによると、フセイン元大統領の死刑執行から2、3時間後にイラク中部クファで小型バスに仕掛けられた爆弾が爆発し、乗客ら子ども4人を含む計31人が死亡、約45人が負傷した。クファはイスラム教シーア派の聖地の一つ。
 イラク駐留米軍は30日、バグダッド西部アンバル州での29日の戦闘などで兵士4人が死亡したと発表した。12月の米軍の死者数は今年最悪の108人に達した。
 ◇サダム・フセイン元大統領 1937年4月28日、イラク北部ティクリート近郊の村に生まれる。カイロ法科大卒業。57年にアラブ社会主義政党バース党に入党。60年にカセム政権から死刑判決を受けカイロで亡命生活を送る。その後、帰国し逮捕されたが、68年にバース党と軍部が起こしたクーデターで指導的役割を果たし、69年に革命指導評議会副議長に就任。79年7月にバクル大統領の引退を受け大統領に就任、石油収入を基に社会基盤や教育環境を整備する一方、反体制派を弾圧した。湾岸戦争(91年)後に国際的孤立を深め、イラク戦争(03年)で政権の座を追われた。
毎日新聞 2006年12月30日 19時49分 (最終更新時間 12月30日 20時38分)

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061231k0000m030042000c.html
フセイン死刑執行:各国の反応は…
 米国とイラクを攻撃した英国は「改めて死刑制度には反対の立場を表明する」(外務次官)とコメントする一方、「イラクの(死刑執行の)決定は尊重する」とも述べ、戦争の正当性と死刑反対を両立させたい難しい立場を代弁した。
 イラク戦争に反対していたフランスは「死刑に断固反対する」との声明を出し、「イラク国民の和解と団結を期待する。(死刑が)イラクの主権の完全な確立と安定につながるべきだ」と強調した。ロシアも死刑に遺憾の意を示し、「軍事・政治的情勢の悪化と民族・宗派間の緊張の増大をもたらす」と警告した。
 フセイン政権時代のイラクと外交関係を深めたインドは「死刑を執行しないよう求めてきたのに残念。不幸な結果がイラクの復興を妨害しないよう望む」(ムカジー外相)と求めた。中国は「イラク国内のことはイラク国民が決めるべきだ。イラクが一日も早く安定し、発展することを希望する」(外務省の秦剛副報道局長)との短いコメントを発表。イスラム原理主義組織ハマスが主導するパレスチナ自治政府は「死刑執行はまさに政治的暗殺だ」とイラク政府の対応を非難した。
 「賛成」の立場を表明したのはイスラエルとイラン。イスラエル外務省は「正義が実行された」と歓迎。フセイン政権時代に戦火を交えたイランも「執行を尊重する。イラク国民は勝利者だ」(外務省)としたが、「米国はこれを勝利とすべきではない」とけん制。「今後、短期だが治安は悪化するだろう」との見通しを示した。
 ローマ法王庁(バチカン)のロンバルディ報道官はバチカン放送に、死刑執行は「(イラクにおける)正義の再建につながらない」「復しゅう心を燃え上がらせ、新たな暴力の種をまくことになるかもしれない」と懸念を示した。
毎日新聞 2006年12月30日 19時58分 (最終更新時間 12月30日 20時40分)

Friday, December 29, 2006

おべっかやさん

このところ、新聞もテレビもまともに見てない。うちは朝日新聞だが、朝日新聞の社説を読むとあまりの偽善ぶりに目が汚れるので、読まないようにしている。テレビニュースも筑紫哲也のニュース23はかつて見ていたが、もうあいつはダメだ。安倍や小泉を首相にしてしまうようなものは、ジャーナリズムでもなんでもない。ただの、おべっかやさんだ。

安倍晋三なんて、こんなことを言い放った男やで。「日本は非核3原則がありますからやりませんけど、戦術核を使うということは昭和35年(1960)年の岸(信介)総理答弁で、違憲ではない、という答弁がされています。それは違憲ではないのですが、日本人はちょっとそこを誤解しているんです」「大陸間弾道ミサイルはですね、その、憲法上はですね、憲法上は問題ない」(サンデー毎日2002年6月9日号)。言いたい放題じゃないか。政治家が、ここまで憲法無視していいのか?そもそも憲法読んだことあんのか?と俺は疑ってしまう。こんなことを言っても辞めさせることのできないジャーナリズムは、ただのおべっかやさんだ。あの安倍の、微妙な「いいこぶり写真」および「育ちのよさを匂わせる映像」に、だまされる有権者も最悪だ。

というわけで、視聴者を騙し続けるおべっかやさんの番組は、帰ってから一度も見ていない。じゃ、何を見ているのか?毎日放送ですよ、大阪発ですよ。冗談じゃなく、一番感心させられるのが毎日放送のvoiceという毎日夕方6時半からやってるニュース番組なのだ。

http://www.mbs.jp/voice/

これはすばらしい。特に憤懣本舗という特集がいい。突撃ジャーナリズムのいいお手本だと思う。毎日放送といえば、あの『ウルルン滞在記』を手がけてる会社である。俺は『ウルルン滞在記』と『世界不思議発見』が、日本人の世界に対する認識を高めている番組だろうと思っている。

あと、英語やけど、この番組を視聴している。Democracy Now!というアメリカのラジオ番組。
http://www.democracynow.org/

というのも、もはやアメリカ政府の決定が日本の決定みたいになってるから、アメリカのニュースを見ることは日本の未来を見ることにつながるという、悲しくて情けない状況だからだ。

さっき、Democracy Now!をみてたら、サダム・フセインの死刑が確定したようだ。でも、このサダム・フセインという人、実はこれが2回目の死刑宣告らしい。以下、参照。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%83%E3%83%80%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%B3

「トロイの詩人として、勝利より敗北のなかにこそ、より多くの示唆と人間性が存在する」とパレスチナの詩人、マフムード・ダーウィッシュはいう。俺は今、サダム・フセインの話を聞いてみたい。安倍や小泉やブッシュと話をしても、くだらんことしかいわんだろう。けれど、いまのサダム・フセインは一体何を語るのか、俺は知りたいと思う。誤解を怖れず言えば、獄中のサダム・フセインの方が、支持率欲しさに、選挙に勝つために本心とは裏腹の美辞麗句を並べるバカおぼっちゃまたちよりも、より多くのことを語りうるのではないだろうか?俺はひとりの人間として、ひとりの人間サダム・フセインと、軍事や政治などではなく、モラルや人間の心理について話をしてみたいと思う。

Thursday, December 28, 2006

消費せよ

いいかげんなことばかり書いている。英語版の方では幾分マジメに自分の思ったことを、ストレートに綴るように心がけているのだけど。

http://nothing-to-be-done.blogspot.com/

どうも日本人に欠けているのは基本的知識に他ならないような気がする。これは新聞、TVなどのマスメディアの影響が大きいと思うのだけれど、例えば、自衛隊がイラクに派遣されたこと、先進国で死刑制度を保持しているのは日本とアメリカだけだということは、おそらくほとんどの人が知らないと俺は思っている。たぶん、イラクを地図上で示せと言われても、ほとんどの人には無理だろう。イスラム教は、飲酒を禁じているだとか、そういうことも知らない人の方が多いと思っている。

結局、日本の教育の目的は学習者をアホにすることだと思う。政府からすれば、無知な人間の方が操作するのに好都合だし、企業からすれば、無知な人間の方が商品を売りつけやすい。商品の安全性などをチェックする消費者なんてうざったくて仕方ない。かくして、知ることを放棄し、考えないような人間を大量生産することを目的として日本社会は設計されている、とさえ俺は思っている。至上命令は、「消費せよ」だ。消費すれば、経済は上向く、と刷り込まれている。ほんとにそうか?

いつのまにか、ゴミの山が築かれる。要らない道路が作られる。ゴミ処理場を作るために、農民は立ち退かされる。原発を作るために、漁民は食っていけなくなる。誰も、原発の近くで取れる魚なんて食べたがらないから。ここでも無知ならばいいのに、こういうときだけ、つまり自分のためなら簡単に好き嫌いしてしまう。

でも、そんなのは、変じゃないか?いつか大きなツケを払わなくてはいけなくなるはずだ。でも、それを払うのは、俺たちじゃない、未来の子供たちなんだ。せめて、自分のケツくらいは自分で拭くことを心がけてもいいんじゃないか。

あー、またくだらないことを書いてしまった。
Khoda hafiz!

Tuesday, December 26, 2006

経済制裁について思うこと

イランへの経済制裁が決まったらしい。ただいろんな抜け道があるようで、実際にはあまり効果がないようだ。しかしながら、アメリカ政府にとっては大きな成功だ。ジワジワと弱らせ、数年後には武力で叩ける条件を整えたいのだろう。ほんと、バカだな。何年か前に、「アメリカの権力は失墜する」ってパレスチナ出身のアッザム・タミーミー先生が言っていたけど、その予想は的中していたではないか。アメリカは終焉を迎えつつあるように思う。一体、イラクで失敗して何を学んだのだろう。

イランはイラクよりさらに強いよ。絶対に負けるに決まってる。発想の転換が必要だよ。

けれど、イランだってアフマディネジャドというファシストが大統領なわけで。ブッシュもファシストだと俺は思っているけど、この二人、発言のレベルが同じだ。方や、「悪の枢軸」なんて放言、相手も「ホロコーストは認めない」だもんな。やれやれ、だ。歴史をちっとは勉強しろよ。二人で勉強会でも開きなさい。教材として、ランズマンの『ショア』を見ろよ。妄想が飛び交うくだらん戦略会議より、その方がよっぽど重要な公務に俺は思える。テロリストはふたりを拉致して、勉強会を開かせるようビン・ラディンに箴言してやってくれ。

あー、またくだらん日記を書いてしまった。さっさと寝よう。
buonas noches!

Monday, December 25, 2006

メリークリスマス!メリークリスマス?

キリストなんか死んじまえ!って息巻いたところで、彼はとっくの昔に死んでいるのだった。クリスマスなんかイヤな思い出しかない。特に、去年のクリスマスなんてのは思い出したくない。俺はメリークリスマスの意味さえ知らないんだ。なんとかしてくれ。

しかし俺は、律儀なんだか、どーだっていいんだが、いろんな人にクリスマスカード、らしきものを送ったのだった。海外の友人に手紙を送るなんて、筆不精なもので、普段は一切しません。これもキリスト効果か。

あと、ひとつだけ書かなければいけない手紙がある。こんなクソ文章をつづっている場合ではない。しかし、書けない。取り掛かってすらいない。どーすりゃいいんだ?キリストよ、貴様に問う。俺は何を書けばいいんだ?隣人を愛せ、なんて俺は口が裂けても言えねえ。この大甘野郎が。お前、酔っ払ってたんだろ、なあ、そーなんだろ?

こうやって、からみながら問いかけたところで、死者は何も答えないのであった。死者は誠に狡猾である。

Friday, December 22, 2006

文化保存容器、ニッポン

だ、だめだ。眠くて何も考えることができない。くそっ、なんで人間は寝ないといけないんだ。簡単だ、地球が回ってるからだ、チキショー、神様も律儀な野郎だ。一体なんで、幾万とある惑星をすべからくスピンさせなきゃいけなかったんだ?

しかし、こんな時間まで起きて何をやってんだというと、英語の固有名の探索に手間取っていた。日本文化の最大長所として、世界各地の文学を翻訳しまくったという歴史がある。音楽にしたって、レコード屋に置かれてる音楽の幅の広さときたら、シドニーなんか比べ物にならない。映画も同じ。そんなわけで、世界中の音楽や文学、映画を楽しむことは日本に住む我々の利点であり、ときに義務でさえあるように思う。誰かが言っていたが、島国日本は文化を保存する容器なのだ、と。

くだらないことを書いてしまった。さっさと寝よう。
Guten nacht!

Wednesday, December 20, 2006

悪戦苦闘

写真をアップするのにも、このblogはいろんな制約があるようで、一時間ほど苦闘することになった。俺はコンピュータなんて大嫌いになりかけている。しかしまあ、プロフィールなども書き加えてみて、少しはまともな文章を書くための準備を整えている。

実のところ、このblogは英語版の方が主流になりそうな気がする。そもそも、このBloggerというのは英語を書くために都合がいい。俺の連れは日本語が読めない人の方が多くなりつつあるので、日本語で書いても友人からの反応がなくてつまらないということもある。いろんな国の友人に、「ちょっとblogでも始めてみました」と送ってみたらオモシロいことになるかもしれない。俺の連れは五大陸に散らばっているので、そして大抵皆が活動家なので、各国の事情を分かりやすく伝えることも可能だ。

それでは。

Samuel Beckett quotes

Samuel Beckett quotes

Thursday, May 11, 2006

人種差別

白人、黒人、黄人、みんな同種の猿から進化したのだとこの前テレビで知った。なんか人種差別が馬鹿らしくなった。猿同士いがみ合っても仕方ない。

Saturday, April 29, 2006

動物

「人間たちはお互いを夢中で殺しあう。生存者がいるだけでも驚きだ」ゴダール『アワーミュージック』

20世紀ほど人が人を閉じ込め、人が人を殺した時代はなかった。いつだって思うことだが人を殺すのは馬鹿げているし、できれば自分は誰も殺したくないと思う。イエスはだれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したというのだから、こんなことを考える自分にはエラソーに「人を殺すな」とか「戦争をやめろ」と言う資格など全くないと思う。

しかし、それでも殺してはいけないと思うし、たとえ誰かをを殺した者も裁いた末に殺してはいけないと思う。私は死刑に反対する。これはキレイゴトかもしれない。ただ私が知っているのは、理念がなければ現状を追認するしかないということだけだ。というより、人間の攻撃性は絶対に除去できない。人はいつでも加害者意識よりも被害者意識を持ちたがるので、自分の攻撃性には気づかないのだが。人間だって、動物の一種なのだ。しかし不思議なことに、動物は間違っても、核爆弾を落としたり、一致協力して特定の人種をガス室送りになどしない。動物たちは温暖化すると分かっていて石油を馬鹿みたいに燃やたりもしない。巷にあふれる人間賛歌には反吐が出てしまう。逆に人間はもう少し動物を見習うべきだと思う。

Monday, April 17, 2006

瘋癲

今日は環境問題の解決方法について。いきなりだが答えは非常に簡単で、みんなでホームレスになればよろしい。消費をしなければよいのである。例えば、大勢のみなさんで電力を買うと原子力発電所が必要になり、チェルノブイリのように事故が起こってしまう可能性がある。日本中の自動販売機を撤去すれば、原発をいくつか閉じることができるのは有名な話だ。木造の家を買って建てなければ、熱帯雨林を乱伐する必要もなくなる。(カンボジアの伐採はひどかった。木を切りすぎたせいで赤茶けた土が見える大地になった。今ではアンコールワット群でしか見ることができない立派な木の、その殆どの伐採に加担したのは日本企業だという、ということはあなたのお家の大黒柱はカンボジア生まれの可能性があるということで、その昔はその木の下でカンボジア人が神様に祈ったり、好きな女と逢引した可能性もあるということだ、まあどうでもいいかそれは)

消費しないためには、カネを稼がない、つまり働かなければいいのだ。カネがなければ消費のしようもない。ニートがなんとかしなければならないとよく聴くが、この高度消費=環境破壊社会でニートを問題にする必要がどこにあるのか疑問に思う。むしろ彼らはエコだといえよう。自慢じゃないが俺もこの二ヶ月ほどニートやしね。環境問題というが、それは問題のすり替え及び本質の隠蔽に過ぎず、実のところ環境問題は「経済」問題と呼ぶのが正確な表現のように思う。環境破壊しなければ経済成長が望めないという有様に、呆れ果ててみてもいいかもしれない。

冗談で書いているのではない。働かないというのはひとつの自発的行動だ。その結果自分に何が起こっても引き受けるという覚悟が伴えば。それをストライキと呼んだり、ある商品を目的を持って買わないことを呼びかけること、これをボイコットという。高度消費社会で革命を起こしたければ、ボイコットをすればいい。インド独立のためにガンジーが多用した戦術だ。

人間は労働するから不幸なんだ、とアンドレ・ブルトンが言ったことがある。最近はマスコミで過剰にボランティアが持てはやされている。2007年に退職する人が多く、生き甲斐を求めてボランティアに参加する人がいるらしい。ところで、その昔、晴れやかな顔でボランティアに励む人たちがいた。ナチス体制下のドイツ人である。どうもドイツ人たちは、この時代が楽しくて仕方のなかったようで「おじいちゃん、どの時代が楽しかった?」と聞くと、「そりゃ第3帝国さ」と答える人が多いのだ。あの時代は生き甲斐があったという。同じ時間の中で6000000人のユダヤ人がドイツ人に殺されていたのに、楽しかったなんてメチャクチャだと今なら思えるが、そんなのは後知恵だ。残念ながら、ボランティア労働に勤しみ、晴れ晴れとした顔で映っているドイツ人青年の写真が手元にある。みんなニコニコしている。日本でも、そうだったんだと思う。みんなニコニコしていたに違いない。多数のアジア人は日本兵に泣かされていた時に。

ガス室で殺して、かまどで焼いて、灰を川に捨てる。組織的集団虐殺は、工場の流れ工程にそっくりではないか。これも強いられた、無償という意味でのボランティア労働によって支えられた。これを手伝わなければナチスに殺されたわけだから、逆らうのは難しかった。俺はいつも自分ならどうしていたか考えるが、死肉を食ったと思う。実際、収容所内では腹が空きすぎて死んだ人の肉を食っている者もいたらしい。これからの「経済」問題の進展で俺が一番怖いのは、こういうことも起こり得るということだ。当たり前だが、一度起こったことは何回でも繰り返す可能性がある。

つい最近、ボランティアがうっとうしくてたまらんという女の人の話が聞けた。彼女は車椅子の障害者なのだが「自分が気持ちよく信号を渡っているときに、勝手に車椅子を押さんといてほしい。車椅子はわたしの身体の一部やから、勝手に触るのは痴漢と変わらん」と言っていた。毒舌ぶりが痛快で、俺は笑ってしまった。彼女によれば「ボランティアの人はありがとうと言ってほしくて、結局のところ他人に認められたくて仕方がないのだ」ということだ。そうだ、その通りだ、と思った。彼女は感情労働を強いられているんじゃないか。サービス業の必須労働、ありがとうと言ってニコッと笑うことが苦痛なのだ。彼女のように考える人もいるので、横断歩道では気をつけた方がいいかもしれない。押していいですか、と一声掛けるのが無難であろう。

ちなみに瘋癲はフーテンと読んで、「頭のおかしい人」というのが本来の意味で、転じて、「定職につかずブラブラしている人」のこと。それがフリーターとかニートとかホームレスと呼ばれてしまうんだからなんだかなあ。そんなんほっとけや、というのが俺の本音。

Sunday, April 09, 2006

酔っ払ってくれ、コーラン

イスラームは飲酒を禁じている。しかし飲む奴は飲む。アフガンに行った時、カブールで友人の誕生日を祝う機会があった。男だけが集まって、ビールを飲み始めた。ハイネケンの空き缶が散らばり始め、次第に強い酒も飲む。その酒は外国のパスポートを持っている者なら、ISAFの基地にある売店で手に入れることができる。

場も盛り上がった頃、酔って、ある男が暴れ始めた。その場のリーダー格の男だ。男は酒瓶片手に、何かを必死で叫んでいた。仲間に取り抑えられた。男の顔は幸せには見えなかった。男は険しい顔で何かを睨んでいた。何を?

なぜ人は飲まずにはいられないのか?かくいう俺もアルコール中毒だった時もある。無茶苦茶な飲み方をした。吐くまで飲んだ。吐くために飲んだ。独りで。とことん記憶を失うために。そうやって実は自分を忘れるために。

オーストラリアで、とある夫婦の家に泊まった。クリスマス、年越しを過ごした。俺たちは毎日飲んでいた。ある晩、女がシャンパンを飲みすぎた。俺は階下のベッドで寝ていたが、階上では口論が始まった。女が夫を口汚く罵っている。同じセリフを何回も叫ぶ。同じ汚いセリフを何回も何回も。夫が反論するたびに。夫はラジオの広告会社を経営する金持ちだが、この夫婦は幸せには見えなかった。この女にはときに眠れない夜がある。

あの男にも、あの女にも、きっと忘れたいことがあるに違いない。そして、いつも忘れることに失敗している。

Friday, April 07, 2006

コーランにジョークが書かれていたならば

フランス人のイスラム教徒の友達からメールが来た。彼女はモロッコで伊達君子の通訳をしたこともある日本語ペラペラの女性なのだが、強烈なイスラム教信者である。かねてから、俺もアフガニスタンやパキスタン、イランなどのイスラム教国を旅したこともあり、イスラムについて勉強せねばならないと思ったから、コーランを買ってみた。コーランは岩波文庫で上、中、下巻出ていて、井筒俊彦という人が訳したものだ。しかし、コーランを手に入れるのにもいくつかの書店を周れなければならず、日本ではイスラムなどは海の向こうのものであり、全くその生活に関係のないものと捉えられているのだろう。

しかし、コーラン。読む気にならない。仕方ないので古本屋巡りを続け、同じ著者の『イスラーム生誕』という本を手に入れた。200円だった。これがよい。まず文章にリズムがあって読ませる。畢竟、文章という物は書き手の熱が入っているものなら、必ず面白いのだ。まずは、砂漠の民であるベドウィンたちの描写から入る。彼らがいかに現世享楽的な暮らしをしていたか。奪い、殺し、姦淫し、酒を喰らう。そんなベドウィンにも美学はある。寂寥の砂漠にただの血しぶきを求める。強烈な快楽を求める。人生の儚さを憂い、陶酔を求める。

ああこの瞬間を楽しまん
やがては死の訪れる身にしあれば
(詩人アムル・イブン・クルスーム)

そこへムハンマドが現れた。彼は強烈なビジョンを従えていた。

Wednesday, April 05, 2006

列島の子供

日本に帰ってきたら、子供が殺されるニュースばかりでうんざりする。自殺者が3万人というのも気が滅入るが、鎌田慧の『家族が自殺に追い込まれるとき』を読んで、日本社会の根本的な欠陥に気が付いた。やりたくないことはしない。やりたいことをする。これができないのだ。仕事が多すぎての過労死などは、死ぬか辞めるかの選択ならば仕事を辞めればいい。しかし多忙さの中で、いつしか生きる欲望も死んでしまうのだろうか。

ある友人が、希望溢れる子供を希望をなくした大人が殺すのだ、と言っていて、そうかもしれないと思った。しかし、希望をなくした子供を希望をなくした大人が殺す、ということもありうるのかもしれない。もしそうならオシマイだが。生れ落ちてきた意味がない。『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』とつぶやくしかない。神よ、何故に我を見捨てたもうや、と。青山真治のこの映画はレミング病という自殺したくなる感染病が流行る近未来ニッポンが舞台だ。ある音楽を聴くと自殺したくなる衝動が止むという。

http://www.elieli.jp/top.htm

ところで、子供たちは何を考えているのか。案外ノーテンキなのかもしれない。

Tuesday, March 28, 2006

地元の連れ

笑わされた。

案外、単純なことなのかもしれない。

Friday, March 24, 2006

しかしまあ・・・

WBCがあれだけ盛り上がったのは日本だけだ。というのはアメリカの無料チャンネルでは放送されずに、スカパーみたいなチャンネルでしか放送されなかったらしい。しかし、福留の一発は素晴らしかった。それは極めて正しい。正しいから退屈だった。

野球が好きではないのである。昔読んだ黒田硫黄の漫画で、サイボーグとその機械集団が未来都市を乗っ取り、人間の少年を野球に誘う場面があるのだが、そのサイボーグが「野球はな、見るもんじゃない、やるもんだ」という件があって妙に清清しい気持ちになったのを覚えている。あと小学生の頃に、ジャガーズという少年球団があって、その移動バスが・・・。まあ、そんなことはどうだっていいか。

今日は書く気がしない。また今度。

Monday, March 20, 2006

1980年代~21世紀初頭

ひとつの仮説として、21世紀に人類が滅びるとしよう。これはそもそも仮説ではなく、現在では多くの人が薄々感じているのではないかと思う。特に911からイラク戦争開戦以後にかけて取り返しの付かない愚考と愚行が繰り返されている。といっても、私はテロリストを批判しているのではない。私は以下のフランスの映像作家、ジャン・リュック・ゴダールの意見に賛同する。

Q:オルガの自殺は最近の自爆テロを連想させずにはおきません。

ゴダール:もちろんそのことも考えました。中東だけでなく、たとえばスリランカの情勢のことも。最初の「地獄編」に首を斬られた若い女性の映像が出てきますが、あれもスリランカの映像です。このところ、新聞での自爆テロの報道を読んで、報道の仕方が間違っているとずっと思っていました。メディアは自爆テロを犯罪として扱っている。アムネスティ・インターナショナルも、人間性に対する犯罪とみなしている。私はそうは思わない。ただ、作品の中で描くにあたっては、平和のためにわが身を捧げるギリシャ悲劇のエフゲニーのような、無償の犠牲にしたいと思いました。私自身も、よく自分に問いかけます。自分には自爆するテロリストと同じことができるのだろうかと。結論は、この映画のオルガと同じようなやり方だったら、きっとできるだろうということです。彼女の鞄には爆弾ではなく本が入っていて、でも状況から判断して人々はそれが爆弾だと思いこむ。そのリスクを追う気にはなれると思う。アガメムノンに従ったエフゲニーがリスクを負ったようにね。あるいは旧約聖書のイサクのように。誰もがかわいそうなイサクを無視してアブラハムのことばかり話すのですが、刃をつきつけられていたとき彼は何を考えていたのか、時々想像してみるんです。私が願うのは、自分を犠牲にするときに、自分と行動をともにしてくれる誰かがそこにいてくれることです。でも、映画を見てもわかるとおり、おそらく最後の時には誰も一緒にはいてくれないだろう、というのが私の推測なのですが。私がイスラエル人だったら、きっとパレスチナ人と同じことをするでしょう。でも実際には彼らは、飛行機だの爆弾だので武装して、遠くからパレスチナ人を爆撃している。自爆するテロリストは操られているという人もいます。でも、実際にはもっと簡単なことではないでしょうか。9.11のテロリストもそうですが「もう何も失うものがないからこそ、何かを獲得することができる」と彼らは思っている。そこがオルガ、つまり私との違いです。もう何も獲得できないときにも、なにかを失うことはできる、というのが私の考え方です。ジャンヌ・ダルクもおそらく同じことを考えたはずです。映画の中でジャンヌ・ダルクの映像を引用したのはそれが理由です。
以上 http://www.godard.jp/ourmusic/ourmusicinterview.htm より引用

私のような1980年代生まれには、未来に希望を持てるような瞬間はなかった。10歳で冷戦崩壊が訪れ、その後に待っていたのは湾岸戦争、さらに10年経た後のイラク戦争なのだ。高度経済成長期のように「明日になれば生活がよくなる」というような幻想もない。逆に大人に対する恐ろしいほどの幻滅と日常への異様な倦怠だけがあった。小学校のときには、環境問題が刷り込まれた。地球温暖化や様々な公害、原発事故、果ては核兵器の使用を経て、人類は危機的な状況を迎えるだろう。実際、核兵器は分散の傾向にあり使用の可能性は高まっているとの指摘があるが、問題は地球を何度も破壊できるエネルギーを、人間という極めて不安定な存在が手にしてしまったということだろう。戦争による核爆弾の使用例は広島と長崎だけだ。中学生のときに長崎への修学旅行があり、私はクラス委員だったので被爆者の語りを聞く会の司会をした。残念ながら全く内容は覚えていない。中学生の私には原爆が炸裂する光景やそこで人がどんな風に死んでいったかなど現実として受け止めることなどできなかっただろう。もしくはそのような不快を催す内容は記憶の底に沈んでいるのだろう。とはいえ「原子力」という一般人には測ることすらできないエネルギーが日本においてはマイナスのイメージを負ってはいるものの、他の国では希望をもたらすものなのだろう。インドもイランもパキスタンもよく報道されるが、世界中どの政府も原子力が欲しくてたまらないようだ。石油が枯渇しつつあるのだろう。しかし原子力などコントロールできるものなのだろうか。一瞬にして数万人の命を消し飛ばしてしまうものが。

地球資源の最大の浪費である戦争や日常的な大量消費を繰り返し、挙句の果てには極めて強引に戦争をしなければならないほど石油という化石燃料を燃やし尽くしててしまった21世紀初頭。温暖化という人為テロが私の未来に闇を落とす。その温暖化の原因は今現在私が使っているパソコン、もしくは暖房器具にエネルギーを通す必要があってのことだが、安定的にエネルギーを供給する手段は石油しかないというのならそれは嘘だ。30年前、オイルショック時にクリーンなエネルギーに代替すべきだと言う議論があった。しかし、国際石油資本の反対に遭い、石油を使い続けると言う選択肢を選んだのだ。一体誰がそんな馬鹿げた選択を指示し実行したかは知らないが。日本では高校生4人組がホームレスに火炎瓶を投げつける事件があったが、投げつける相手が間違っている。教師たちは「怒り」の正当な利用方法について教授した方がいいのではないのだろうか。決定を下す人には責任が伴う。怒りを抱いて子供を攻撃するのも間違っている。どうせなら、いやいっそのこと温暖化という間違った決定を下した責任者に火炎瓶を投げつけるべきなのだ。

決定者の責任に火炎瓶で答えることぐらい論理的に許されてもいいはずだ。なぜなら石油の枯渇=過剰な使用が石油の需要を生み、石油の需要が中東の民主化=石油工場化を必要とし、その工場を作るための古い工場=フセイン体制の解体がイラク戦争だったのだ。そして石油のためなら人を殺してもよいことになったのなら、その決定者も同様の仕打ちを受けることを引き受けると言うのが、決定者の責任なのである。原爆を落とすことを決定した者は必然的に復讐を招くはずである。石油工場建築を邪魔する人間は殺してもよいことになった。殺す者は必然的に復讐を招く。それが21世紀初頭の現実なのだ。しかし「戦争」という言葉は21世紀において、決定的に曖昧になってしまった。進行しているのは、たんなる石油工場建設=他人の土地略奪=邪魔な周辺住民虐殺なのだ。「内戦」というのも正確な表現ではない。進行しているのはたんなる「代理虐殺」である。では、一体誰の代理なのか。アメリカ?ロシア?フランス?イスラエル?イギリス?日本?トルコ?イラン?これらは国名であって人の名前ではない。考えてみれば、誰の代理なのか?

言うまでもなく、石油に依存しているこの私の代理なのである。

Sunday, March 19, 2006

ドキュメンタリーとフィクション

いくつかの映画を見た。

ホテル・ルワンダ
ツチとフツのルワンダ内戦を描いた、『シンドラーのリスト』のアフリカ版と言われる。あらすじは以下を参照。
http://www.hotelrwanda.jp/

秀作というべきなんだろう。酔っ払ったジャーナリストの「世界の人々はあの映像を見て-”怖いね”と言うだけでディナーを続ける」というセリフは真実を得ているとしても、この映画において虐殺を描く手法に問題があるように思える。いや、そもそもドラマを語る必要があったのか。ラジオで「ある民族はゴキブリだ」という放送が行われる。そんな単純なプロパガンダに乗せられ、100日で100万人が殺される虐殺が起きるはずがない。多国籍軍が介入すれば虐殺を防げたという結論を導く点もいささか単純すぎやしないか。その回答は何か他の大事なものを隠蔽しているに違いない。それはさておき、フィクションとドキュメンタリーの違いは、「顔の強度」にあるのではないかと考えた。ジェームズ・ナクトウェイの写真に収められた顔と俳優ドン・チードルの顔は違う。あまりにも違いすぎて並置は当然ながら、対置すらもできない。 フィクションとしてのドン・チードル、ドキュメンタリーとしての頬の傷。
http://www.jamesnachtwey.com/

ランズマンの『ショアー』という映画がある。ユダヤ人虐殺=ホロコーストを証言インタビューだけで探ろうとした作品。虐殺の生き残り、ナチス、見殺しにした隣人=ポーランド人たちへと問いを発する。9時間半に及ぶインタビューは執拗さを増し、何があったのかを語らせようとするランズマンの執拗さを前に語る者は沈黙する。それを観る者には「何もそこまでしなくてもよいのに」という不快感さえ催しかねないのだが。やがて観念したかのように静かに語り始める。ある者は言いよどみながら。時には仕事の手を休めずに。 語りに耳を澄ませれば、その手法の正しさを確信すると共に、「そこまでしなくては語られることのなかった事実」に観る者は驚愕するばかりだ。そして、ここでも「顔の強度」について思いが巡り始める。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000244RS0/249-6952609-6752340

ルワンダの虐殺においても、ランズマンと同様の手法で撮られる必要があるように思う。多数の証言を積み重ねる。ある一人の英雄=ドン・チードルの物語である必要がどこにあったのか。むしろ、そのような態度は全く取るべきではないのだ。何が起こったのか、という問いは常に当事者、その場所に向けられるべきものであり、フィクションとしての限界はここにある。証言できない映像を羅列し、物語を作ってしまう作業とは一体何なのか。そういえば、ゴダールによれば、シンドラーの妻はスピルバーグから一銭も与えられないままにブラジルのどこかに住んでいるらしい。

しかし、何かを語り始めるには未だに時間が過ぎていないのは確かだ。ランズマンの『ショアー』は1985年に公開された。ルワンダ虐殺の記憶は、まだ記憶にすらなっていないのだ。21世紀の映画史における最大の敗北とは、アフガンの裸足の農民を米軍が爆撃する姿を捉えることができなかったことだと考える私のような人間の闇を、『ホテル・ルワンダ』、及びそのエンド・ロールで歌われる以下のラインは照らすことはできないだろう。

「アメリカ連邦は可能なのに、なぜアフリカ連邦は不可能なんだ?イギリス連合王国は可能なのに、なぜアフリカ連合王国は不可能なんだ?」

むしろ、こう問うべきだろう。
「なぜアフリカは『連合王国』に、もしくは『連邦』になる必要があるのか?」と。